《1987》 “穏やかな最期”とは老衰だけではない [平穏死]

昨日、「平穏死」のことを書いたら、何通かメールを頂きました。「先日のNHKスペシャルの放送のように、平穏死とは老衰で死ぬことだと思って
いましたが、川島なお美さんのように、がんでも使う言葉なのですか?」と。

そうなのです!

平穏死は老衰の話だと思っている人が、多くおられます。
まあ市民も医療者はほとんどが、平穏死という言葉すら知りませんが……

実は、平穏死とは、がんでも老衰でも慢性心不全でも肝硬変でも認知症でも
ゆっくりゆっくり終わりが近づく病態でも、共通する概念です。

平穏死は、病気も年齢も問いません。

人は100%、終わりが来ます。

しかし、5%の人は突然死なので「終末期」を経ないで死に至ります。
残り95%の人は、「終末期」を経て死に至ります。

しかし「終末期」にいても、本人も家族も医者も気がつかない場合が多い。
実は、薄々気がついていてもその話は避けて通るのが、日本の医療現場です。

なにせ、多くの病院では、死はいつも“想定外”なのですから。
死へのプロセスを教える人も、教育システムも何もありません。

川島さんは、いつからか終末期を意識していたと思います。
もちろんさまざまな葛藤もあったでしょうが。

ご自身の意思で抗がん剤治療を拒否し、ギリギリまで女優業を続けられ、
“穏やかな最期”を望み、叶えられた方だと思います。

芸能人のがんというと、よく「壮絶」と言う形容詞がつけられていますが、
これはあまりにもイメージ先行型で、本当の姿を見ていないメディアの人が
勝手につけた言葉のような気がします。

だから私は9月20日のアピタルで、川島さんに敢えて「あっぱれ!」
という形容詞をつけさせていただきました。

この世に残した最後の言葉は、「ごめんね」と「ありがとう」だったそう。
旅立つ直前にそんな言葉をちゃんと言えたということが救いだと思います。

最期まで意識があり話ができて、何かしら口にできて、時に笑える。
緩和医療の助けもあったことでしょう。

川島さんの枯れていく姿こそが穏やかな最期を暗示していたような気がします。
彼女の生き方から学ぶことが山ほどあると思い、満月の夜にふり返っています。


参考文献) 平穏死・10の条件(ブックマン社)