《1992》 腹腔鏡の思い出 [がん]

1984年の春、私は医者になりました。
なったその日から、手術場で麻酔と手術を教えてもらいました。

大阪大学の関連病院でした。
その救急病院には、医者は数人しかいませんでした。

外科と内科、あわせて医師は8人でした。
だから医者になったばかりの私でも大きな即戦力でした。

ある日、名誉院長先生の腹腔鏡検査を手伝うことを指示されました。
その老先生は、鉄腕アトムのお茶の水博士のモデルと呼ばれていました。

手術場に入ると、その大先生が先に入って待っていました。
私も手術着に着替えて、腹腔鏡検査を手伝い始めました。

しかし、せっかく消毒したばかりの術野に、大先生のヨダレが落ちました。
落ちる度に手術場の婦長さんが、スリッパで頭を叩く真似をしていました。

腹腔鏡検査は、主に肝臓を観察するための検査。
血液検査の情報だけではわからない肝臓の様子を直接観られる、その検査は魅力的でした。

患者さんのお腹に局所麻酔をして、小さな切開を入れて、そこから棒のような先端に
明かりがついたスコープを差し込み、先端に直接目をつけて肝臓の表面を観察します。

私は注射器をシュポシュポ動かして、腹腔内に空気を送り込む係です。
映像を観られるのは術者一人だけ、というのは胃カメラも同じでした。

時には、槍のような針を差し込み、肝臓の組織を採取して病理に回します。
肝硬変の人は、その針穴からの出血が止まらないことが多く、苦労しました。

さて、そんな辛い検査は、エコーやCTの普及とともに頭打ちになりました。
その数年後に、その腹腔鏡を用いて胆のうの手術をするという話を聞きました。

当時は、胆石の開腹手術が多く、私も週に2~3回、その手術に入っていました。
その手術を今度は腹腔鏡で行うという話を聞いた時、最初は信じられませんでした。

しかしヨーロッパで研修を積まれた先輩医師が入れ替わりやってきました。
またたく間に、日本中でも胆石の手術といえば腹腔鏡手術が標準になりました。

10年くらい前でしょうか、大腸がんを腹腔鏡で切除するという話を聞きました。
当初は、内視鏡手術でがんの取り残しがある人への追加手術が、主な対象でした。

しかしまたたく間に、腹腔鏡手術が大腸がんの標準手術になりました。
最初はステージⅠの早期がんだったのが、ステージⅡ~Ⅲの進行がんが対象へ。

そして2006年、王監督が腹腔鏡による胃がんの手術を受けられました。
その報道を契機に、胃がんにも腹腔鏡手術が適応されるようになりました。

もちろん、すべての胃や大腸のがんが腹腔鏡手術の対象になる訳ではありません。
その時代時代に、医学会が定めた対象患者さんにのみ適応される術式なのです。

現在では、大腸がんの腹腔鏡手術は当たり前になりました。
胃がんもそうなりつつあります。

30年前は、検査でさえ野蛮(?)と言われた腹腔鏡が
今では、それなしではがんの外科手術が成り立たないまでに成長したのです。

正直、30年前には、こんな時代が来るとは夢にも思いませんでした。
こんな時代とは、外科医がテレビゲームのように画面の中でがんを治す時代です。