講演・ライブ予定
一般財団法人 日本尊厳死協会関西支部・講演会
対象者 |
どなたでも |
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講演名 | |
日時 | 2015年11月1日(日) |
講演内容 | プログラム: ★開催の挨拶 13時~ 長尾和宏(一般財団法人日本尊厳死協会副理事長・関西支部長) ★講演:13時30分~15時 『自分らしい理想の最期』~生と死を考える~ 講師:カール・ベッカーさん (京都大学こころの未来研究センター教授兼大学院人間・環境学研究科教授) ★懇談会:15時20分~16時20分 会場の皆様、講師、協会の理事との意見交換会です。 |
場所 | ≪京都府≫ シルクホール京都市下京区四条通室町東入 きらっ都プラザ京都産業会館8F |
定員 | 760名 |
参加費 | 無料 |
お申込み/ お問い合わせ |
★Eメール:kansai@songenshi-kyokai.com 件名に「11月1日 講演会参加希望」、 本文には下記4点をご記入ください。 1.氏名(ふりがな)=複数でのご参加の場合は参加人数もご記入ください) 2.住所〒 3.電話番号 4.会員、非会員 ★はがき:〒532-0003 大阪市淀川区宮原4-1-46 新大阪北ビル702 一般財団法人 日本尊厳死協会 関西支部 「11月1日 講演会参加希望」とお書きいただき、下記4点もご記入ください。 1.氏名(ふりがな)=複数でのご参加の場合は参加人数もご記入ください) 2.住所〒 3.電話番号 4.会員、非会員 ★FAX:06-4866-6375 チラシ裏面の申込み用紙に御記入の上、お申込みください。 |
備考 | カール・ベッカーさんの〝理想の終焉(しゅうえん)〟を見つめて ナレーター: 京都大学教授のカール・ベッカーさん、(現在、六十四歳。)宗教学、倫理学が専門です。アメリカ生まれのベッカーさんは、日本が欧米とは異なる死との向き合い方の伝統をもっていることに心を動かされて来日。以来、四十年近く、日本人の死との関わり方を研究。 ベッカーさんは、末期医療の現場にも出向いて、患者や医師の声を聞き、「現代日本における理想的な死のあり方とは何か」を問い続けてきました。今回の「こころの時代」は、京都大学教授のカール・ベッカーさんに、これまで見つめてきた死のあり方と、それが今の人々に教えてくれるものは何かを伺う。(H24年NHK教育テレビ「こころの時代より」 ― 日本人の生と死について ―― ○:「どれだけ長く生きるよりは、どれだけ潔(いさぎよ)く生きる方が日本人の知恵だった。」 ―― ベッカーさん自身の「理想の終焉」 について ―― ○:『 私にとっての理想的な死が、まず周囲を視野に入れた死。』 『周囲を視野に入れた死は、つまり周囲に迷惑をかけない死。例えば私を見守るために、二十四時間体制で、三人も五人ものヘルパーや看護師がずっと面倒を見てくれるということは、決して持続可能な体制ではない。将来的にどんどん老人が増えるにつれて、そんな一人の老人に対して、一人以上のヘルパーが付くなんてありっこない。となると、私はそれを理想な死にしてはいけないというわけ』。 『理想的な死は、みんなにとって可能な死で、持続可能な次世代でもできるような死で、そして可能だったらば誰でも真似できるような死に方でなければいけない。』『そのためにはいわば物質的な準備と精神的な準備が必要。物質的な準備には「事前要望書」や「living will(尊厳死宣言)」などが必要。勿論私は決めています。さらには自分の代理人決定。自分が意識が朦朧したり、あるいはアルツハイマーなどで正常に私が判断できない時に、代わりにこの人を私の代理でお願いしますと決めておくと非常にスムーズにいく。つまり医療の自己決定が個人に委ねていますが、個々人がそれに応じて元気なうちに、正常なうちにいろんな手続きを取らなければいけなくなる。場合によって、自分の財産についても、物についても、墓についても、準備をしておきたいもの。今鮮明に考えられる時に、要らなくなった場合の本をこの人に、音楽をあの人に、この家をこの人に、というふうに文字で決めておくと非常に理想的な死に近づいていける。でもそれを済ました人でも、まだ毎日毎日生きているので、潔く死ぬために可能な限りお礼を言うべき人に、お礼を言って、言えない時にせめて心の中でそれを念じて、また私だってこれだけ生きていると、いろんな人に大変ご迷惑や失礼や問題を犯したことがある。それに対して許されるかぎりお詫びを伝え、仲直りを望み、できなかった場合には心の中で「ごめんなさい」という気持を思い出したい。その可能な限りお礼とお詫びを伝えることが、いわば物質的な、つまり外的に見える行動であるにしても、もう一つ大事なのはやっぱり心の内面の精神統一のようなものです。つまり納得して死ねるかどうかが、周囲はどうであろうとも、自分の精神が落ち着いて生きれるんだったならば、それなりによい理想に高い死ができるかなと思う。そのためには、あるがまま受け入れることが大事。これまで私が自分の自力で、この世に学んで決定してやっていくという、いわば勉強的な側面を強調したのに対して、その半面精神面になると如何に素直に与えられたものを受け入れることができるかという側面になってくると思う』。そういうあるがまま受け入れる心も日本人の宝の一つだと思う。
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