《1512》 障害者団体の方とお話しました [未分類]

尊厳死を巡る自民党・党本部内での議論傍聴に先立って、
障害者団体の方と別室で少しお話しする機会が、国会議員さんによって設けられました。
以前にもお会いしていますが、直接お話しするのは初めての方です。

「植物状態の人についてどう思うか」、
「障害者についてどう思うか」など、
簡単な質問を受け、それぞれに答えました。

私自身、外来や在宅で日々、難病や障害者の方を診ています。
毎日いろんなことがあって、いろんな会話、判断をしています。
しかし、主治医としてではなく難病や障害者と向き合うのはまれです。

私は、「平穏死」と題した著作があり講演もしています。
日本尊厳死協会の役員もしている関係上、いろんな場に呼ばれて、
難病や障害者の方からいろんな意見を言われます。

もう慣れましたが、そこでは多くの難病や障害者の方が
学者や医師の方たちとおられて、じっと私をにらみつけます。
時には罵声を浴びますがさすがにかなり慣れてきました。

彼らにとって、私は許せない人間のようです。
偉い学者さんたちにもボコボコにたたかれます。
「人殺し!」というやじには、さすがにまだこたえますが。

メディアにも、たいてい「悪役」として扱われます。
イベントの後は、新聞を読むのが怖いときもあります。
しかしこれは東京だけで起きる現象だと気がつきました。

地方紙はとてもおおらかで、そのまま書いてくれます。
だから地方に行くと伸び伸びと話すことができます。
中央と地方のギャップはなんなんだろう、といつも思います。

一昨日は、しばらくぶりに「東京」でにらまれていました。
難病や障害者の方ににらまれると、とても気がめいります。
「そんなに悪いことを言っているのだろうか」と疑心暗鬼に。

しかし、私の後ろには12万人の市民がいます。
リビングウイルを表明しているひとたちです。
皆さん「なんとかしてくれ」と懇願されます。

今日の第3回日本リビングウイル研究会のテーマは、
まさにこれ、「生かされなかったリビングウイル」。
ご家族の叫びに耳を傾け共に考える1日を過ごします。

難病や障害者の方たち叫びと、末期がんや認知症や高齢者の叫びの両方に耳を傾けてきました。
でも、両立は大変難しい作業。
とても自分の能力を超えているといつも思います。

私自身は町医者として「穏やかな最期」を見届けるのが仕事。
法律とは無縁の人間が、法律のことを考えてもしょせん無理かも。
しかしそうはっても、リビングウイルを担保する法律は欲しい。

とはいえ、それで難病や障害者の方が困るのであれば、それは私も困る。

この2年間くらい、そんなことばかり考えながら過ごしてきました。
欧米の事例を研究しても宗教的背景がまったく違う別世界です。
しかし、アジアの中でリビングウイルを法的に担保した国があった。

それは、台湾です。
このアピタルにおいても、日本語訳をつけてご紹介しました。
2000年に法制化され、2002年、2013年と改正された。

病院における人生の最終段階における医療の実態は正直、
自分の日々である「平穏死」とは、ほど遠い世界です。
まず平穏死から始めようと講演を回るようになって2年が経過。

私は、終末期の自己決定をした人たちの権利を守りたい。
同時に難病や障害者の方たちの人権も、当たり前ですが、守りたい。
両者は相いれないのではなく、両立すると思って模索しています。