《1514》 低下する医師のコミュニケーション能力 [未分類]

急に心肺停止状態になり慌てた家族が救急車を要請。
幸い息を吹き返したが、人工呼吸器をつけたままで、
結果的に、3週間後に旅立たれた。

以上が「生かされなかったリビングウイル」の第1例でした。

しかし医師の立場から見れば「概ね、仕方が無い」経過です。
しかし家族は「生かされなかった」と思っているのも事実です。
そのギャップをどう考えればいいのでしょうか。

まず「救急車を呼ぶ=救急救命処置をお願いすること」です。
たった今、息絶えたと思われれば、気管内挿管して人工呼吸を
始めるのは当たり前のことだと思います。

そうしなければ、職務違反になります。

たとえリビングウイル(LW)を持っていても100%そうするはず。
救急隊員や救急医の使命そのものだと思います。
それが嫌なら最初から救急車を呼ばないことですが、実際には困難です。

すると問題があるとしたら、亡くなるまでの3週間にあるのかも。
脳外科医は、もし脳血管障害で突然心肺停止になったのであれば、
数日で予後がだいたい予想できる、と発言されました。

別の医師は「3週間程度の経過は仕方が無い」と発言されました。
人工呼吸器そのものではなく、装着した期間が問題だと思います。
3週間なのか、3カ月なのか、3年間なのか。

そしてその間に、どんな話合いが何回行われたかが、重要です。
経過の良し悪しによってリビングウイルが効いてきます。
経過が悪ければ悪いほど、家族との話し合いの意味が大きくなります。

従ってこの症例は、「LWが生かされなかった」のではなく、
「家族が生かされなかったと感じた」ケースかと思いました。
家族は、満足、納得しておらず「こころ残り」があるのです。

つまり、医療者と家族の想いに大きなギャップがあるのです。
コミュニケーションギャップと言えましょう。
議論の中で医師のコミュニケーション能力の低下が指摘されました。

「最近の医者は、患者に上手に説明する能力が欠如している」と。
たしかにインフォームドコンセントとして紙に書いたりして
ご家族にひととおりの説明はなされているはずです。

しかしそれが家族に伝わっていない場合が多いのです。
「説明はしたが全く伝わっていない」。
いろんな相談にのっていて、そう感じることがとても多いです。

抗がん剤の説明、胃ろうの説明など、ほとんどが説明不足、
話し合い不足です。
これが医療否定本が飛ぶように売れる理由のひとつかと思います。

確かに、救急現場の医師は死ぬほど忙しい。
そんな中、時間をかけて丁寧に説明していたら本当に死ぬかも。
だからと言って時間をかけなければ、家族には伝わらない。

私自身、1人の看取りにおそらく合計で1~2時間かけて説明します。
時には深夜に及びますし、帰宅したら日付けが変わっていることも。
コミュニケーション能力とそれを行う時間的余裕の問題だと思います。

救急車の話は、どこに行っても聞かれる質問です。
「だったら呼ぶな」と私は決して言いません。
「呼んだあと」のことを想定してから呼んでね、とお答えします。

以上は、元気な人が突然倒れた場合の話です。
病気で療養中の人が倒れた場合は救急車を呼ばない選択肢もあります。
予め本人や家族がそれを文章等で希望する場合は「DNR」と言います。

在宅看取りは、すべてDNRです。
だから「救急車を呼ばない」説明は、くどいほどしています。
それは呼んでも、全く意味が無いことが分かっているからです。

LWとDNRを区別するべきではないか。
第1例の質問者は、両者を混同しているような気がしました。
台湾の安寧緩和医療条例ではDNRは別に定められていました。

しかし普段元気な人なら、たとえ高齢者でも話は別です。
このあたりのことは、こうしたシンポで何度でも話し合うべきだなあ。
シンポジストとして登壇しながら、そう感じました。

医者のコミュニケーション能力の低下も事実。
しかし市民の救急車の理解が乏しいのも現実。
両者の想いを埋める作業は重要です。