《1518》 伝えることは難しい [未分類]

このブログは、1500日以上連続して書いています。
約4年間、1日も休まず書いてきました。
書く方も大変だけど読む方も編集する方も大変でしょう。

書いても書いてもお伝えしたいことがあるのは不思議です。
講演も同様です。
この3年間でおそらく500回以上の講演をしてきました。

しかし私は人に言いたいことを伝えるのが下手です。
話がどうしても"飛んで"しまうからです。
講演もテレビもとにかく大勢の人の前に出ると上がります。

実は、この1週間、ラジオの生放送に3回出ました。
がん対策イベントの啓発キャンペーンに駆り出されたのです。
リボンの騎士ナイト」というイベントが7月6日にあるのです。

第一部は平均年齢80歳を超えたジャズトリオの演奏。
第二部はがん専門医と、患者会代表と私のトークです。
とっても楽しがん啓発イベントにしたいと願っています。

今週、一つ気がついたことがあります。
ラジオは、上がり症はまだましだということです。
心臓はドキドキし、口は渇きますが、まだましです。

昨日は、ばんばひろふみさんの番組のゲストでした。
バンバンといえば、名曲「いちご白書をもう一度」です。
55歳以上の男性は、昔、みな口ずさんだはずです。

偶然ですが彼のファーストコンサートに私は行きました。
いまから37年くらい前の話です。
髪型や衣装そして最後に大泣きしたことを覚えています。

ばんばひろふみさんに聞いてみたら、彼もちゃんと覚えていました。
昨日のラジオ番組は偶然ですが、999回目でした。
震災の直後から毎週金曜日に続いてきたそうです。

いわば、999週目に私を呼んでいだいたわけです。
私のクリニックの電話は9090、FAXは9393。
なぜか9とご縁があるのですが、まさにそれでした。

偶然ですが、私も平成7年、同時期に開業しました。
現在、20年目に入っています。
バンバンのそのラジオ番組と同じ時代を歩んできたのです。

番組に出たあとは速攻で戻り、診察、面談、医師会の会合、
訪問診療やいくつかの往診やケア会議も2件しました。
夜の診察が終わった後は、地域の介護職への看取り講演。

その後、大阪大学消化器内科の勉強会、その後は深夜の往診。
午前2時に寝ましたが、3時に起こされ、4時に看取りがあり。
5時、6時とまた急変した患者さんの対応であまり寝ていません。

今は、名古屋から岡崎への移動中です。
これから岡崎市と刈谷市で平穏死の講演をしてから、東京です。
明日は山形県の鶴岡のみなさまに、穏やかな最期の講演をします。

そんな具合で毎日どこかで話しているのですが、
全然話が上手くなりません。
伝えることは難しい、と日々感じて、悩んでいます。

ちなみに、この1週間に出演したラジオ番組です。(各15分程度)
京都KBSラジオ「森谷威夫のお世話になります!
ラジオ大阪「中井雅之のハッピーで行こう」
ラジオ関西「ばんばひろふみ!ラジオ・DE・しょー!」
ついでに、少し前ですが、NHKでラジオでのトークです。

2年間で少しは、上手くなっているのでしょうか??
自分ではよくわかりません。

聞く力も大切ですが、伝える力も大切だと最近特に思います。
というのも、まったく伝わっていないと感じる毎日だからです。