胃ろうは優れた人工栄養法であることは間違いない。
人工栄養によって命が延びたり、再び蘇る人もいる。
個人の幸福を考えた時に、大きな福音だと思います。
しかし、胃ろうは本当に日本人を幸せにしたのか?
老人病院や特養を覗くと、そう思う時があります。
うつろな目をした胃ろう患者さんを見ると複雑です。
ハッピーな胃ろうは当たり前として
アンハッピーな胃ろうばかりが目についてしまう...
ならばハッピーを増やしアンハッピーを減らせばいい。
しかしそう簡単にコトが運ばないのが臨床現場です。
本人の意思表示やリビングウイルがあっても最終的
に決定するのは家族しかいません。
本人は胃ろうはイヤだけど
家族が強く希望。
あるいは、鼻からチューブを希望。
そのような場合が大半だと思います。
つまり、極論すれば胃ろう問題は家族の問題であると
思えてなりません。
日本は本人の意思より家族の意思が優先する国です。
本人がイヤがっても家族が満足ならそれでOKです。
リビングウイルが尊重されるとは限らない国です。
世界的にみてかなり珍しい国。
おそらく日本だけ。
極めて独自の価値観に上に胃ろう問題があります。
一方、世界の大半は胃ろうそのものが無い国々です。
医療そのものが受けられない人のほうが多いのが現実。
胃ろう以前の問題に終始します。
胃ろうは、病院医療、施設医療、在宅医療などの
社会保障システムの上に存在するものです。
国民皆保険制度はそれだけ優れたシステムと言えます。
胃ろうの無い国、ある国のどちらが幸せか?
胃ろうをその人の幸せのために使えれば問題ありません。
しかし使えていないのでこれだけ問題視されたのでしょう。
胃ろうが問題ではなく、胃ろうを扱う社会の問題です。
これはおそらく、国民の半分が一生の間に直面する課題です。
従って元気なうちから、本人と家族がよく相談しておくべき。
ひとりでも多く、リビングウイルを表明しておいて下さい。
日本尊厳死協会では2千円でリビングウイルを表明できます。
各自で司法書士さんに、オーダーメードでお願いしてもいい。
いずれにせよ「自己決定」が尊重される日本であって欲しい。
その上で、胃ろうを上手に使ってほしい。
胃ろうがあっても食べられることを、広く知ってほしい。
ただし以上は、国民皆保険制度が破綻しなければ、が前提。
胃ろうについて思いつくまま、書いてきましたが
今回の一連のシリーズは、これで終了させていただきます。