《1543》 胃ろうの無い国、ある国 [未分類]

胃ろうは優れた人工栄養法であることは間違いない。
人工栄養によって命が延びたり、再び蘇る人もいる。
個人の幸福を考えた時に、大きな福音だと思います。

しかし、胃ろうは本当に日本人を幸せにしたのか?
老人病院や特養を覗くと、そう思う時があります。
うつろな目をした胃ろう患者さんを見ると複雑です。

ハッピーな胃ろうは当たり前として
アンハッピーな胃ろうばかりが目についてしまう...
ならばハッピーを増やしアンハッピーを減らせばいい。

しかしそう簡単にコトが運ばないのが臨床現場です。
本人の意思表示やリビングウイルがあっても最終的
に決定するのは家族しかいません。

本人は胃ろうはイヤだけど
家族が強く希望。
あるいは、鼻からチューブを希望。

そのような場合が大半だと思います。
つまり、極論すれば胃ろう問題は家族の問題であると
思えてなりません。

日本は本人の意思より家族の意思が優先する国です。
本人がイヤがっても家族が満足ならそれでOKです。
リビングウイルが尊重されるとは限らない国です。

世界的にみてかなり珍しい国。
おそらく日本だけ。
極めて独自の価値観に上に胃ろう問題があります。

一方、世界の大半は胃ろうそのものが無い国々です。
医療そのものが受けられない人のほうが多いのが現実。
胃ろう以前の問題に終始します。

胃ろうは、病院医療、施設医療、在宅医療などの
社会保障システムの上に存在するものです。
国民皆保険制度はそれだけ優れたシステムと言えます。

胃ろうの無い国、ある国のどちらが幸せか?

胃ろうをその人の幸せのために使えれば問題ありません。
しかし使えていないのでこれだけ問題視されたのでしょう。
胃ろうが問題ではなく、胃ろうを扱う社会の問題です。

「胃ろうという選択、しない選択」(セブン&アイ出版)

これはおそらく、国民の半分が一生の間に直面する課題です。
従って元気なうちから、本人と家族がよく相談しておくべき。
ひとりでも多く、リビングウイルを表明しておいて下さい。

日本尊厳死協会では2千円でリビングウイルを表明できます。
各自で司法書士さんに、オーダーメードでお願いしてもいい。
いずれにせよ「自己決定」が尊重される日本であって欲しい。

その上で、胃ろうを上手に使ってほしい。
胃ろうがあっても食べられることを、広く知ってほしい。
ただし以上は、国民皆保険制度が破綻しなければ、が前提。

胃ろうについて思いつくまま、書いてきましたが
今回の一連のシリーズは、これで終了させていただきます。