《1564》 認知症は老化か、病気か [未分類]

暑い毎日で頭がボーとしてやる気が出ない時があります。
そんな時は、20分くらいの昼寝がいいそうですね。
私は、小さい時から昼寝ができない体質なのですが。

さて、今回からしばらく、8刷り6万部となった「ばあちゃん
介護施設を間違えたらもっとボケるで!」の読者ハガキ
で頂いたご質問にお答えしていきたいと思います。

私は認知症の専門家でもなく、出来の悪いただの町医者です。
自分が理解していることを恥を忍んで、正直に書いてみます。
話があちこち飛びますが、どうかお許しください。

毎日、朝から晩まで認知症の方を20人は診察しています。
外来と在宅でそれぞれ10人ずつといった感じでしょうか。
外来患者さんの半数が認知症だった、という日もあります。

また、その日に訪問診療した人の半分以上が、認知症だった、
まるで認知症専門のようだな、なんて思う日もよくあります。
年々急速な勢いで増えていることを肌で感じる立場にいます。

糖尿病、高血圧、腰痛、がんなどが全面に出て、認知症も
あることを忘れそうな時も多いのですが、とにかく多い。
特に中高年の認知症が増えているという印象があります。

認知症とは、アルツハイマー病、レビー小体型、ピック病、
脳血管性認知症などの総称でかなり大雑把な病名だと思う。
しかし他に言葉が無いので、認知症を使わせてもらいます。

物忘れと認知症は別物だと、どんな本にも書いてあります。
忘れ物をすることは、歳とともに誰にでもあること。
しかし忘れ物をしたことを忘れていたら、認知症です。

歳を取ると、必ず物忘れは増えます。
短期的な記憶能力は、どんな人間でもいつかは低下します。
トランプの「神経衰弱」をすれば、30歳でもう子供に負けます。

これは「忘れる」というより「新しい記憶の保持」が低下すること。
もし今、医学部の入学試験を受けたら、100%受かりません。
医師国家試験もどんなに勉強しても絶対に受からないはずです。

あの時の脳だったからこそ、一夜漬けが可能だったのであり、
今、同じことをやろうとしても、昔の何割もできません。
脳の神経細胞数が減り、細胞間の連絡も悪くなっているのを実感します。

講演をしていても「あのー」「そのー」「えー」「あー」が多くなる。
これは側頭葉の働きが低下しているからであって、若い人が
スラスラと喋るのを聞くと情けないやら、羨ましくなります。

体調が悪いと、いわゆる「ド忘れ」のようなことも起こります。
また午前中は記憶の調子が良くても、夕方になれば頭が疲れてきて
記憶や理解力が低下することは、学会などに出席すると感じます。

物忘れと認知症は別物と書きましたが、まったく別物か? と
聞かれたら、私は、実は両者は連続しているものだと思っています。
物忘れの延長線上に認知症があるイメージです。

結局、どこで線を引くかです。
本人も周囲も困らないのなら、それは「物忘れ」でいい。
しかし生活に支障があるならば、それは「認知症」と呼ぶべきものです。

もうひとつ、かねてから思っている疑問は、年齢のことです。
80歳、90歳で物忘れ程度であれば、それは生理的なものです。
しかしまだ40歳、50歳で物忘れが酷ければ、ちょっとヤバい。

糖尿病があれば認知症のリスクが2倍に、
喫煙するならリスクは3倍に、と患者さんには説明しています。
もし50歳で糖尿病と喫煙がある人にはっきりモノ忘れがあれば……

もしかして「若年性認知症?」なんて思ってしまいます。
本人も、自分が忘れっぽくなったことに、薄々気がついています。
話しているうちに「取り繕い」をして、何とかその場をしのぎます。

若年性認知症とは、65歳以下の認知症の人。
3万人とも10万人とも言われていますが、
そこにカウントされていない人が相当数いるのではと想像しています。

認知症の人が400万人いて、予備群が460万人と言われています。
しかしそもそも、認知症と予備群をどうやって区別するのでしょうか。
あるいは、予備群と正常をどこで区別した結果の統計なのでしょうか。

たしかに認知症が沢山いて、凄い勢いで増えていることは間違いない。
しかしそれが60歳なのか90歳なのかでは、意味が全然異なります。
90歳ならば、認知症がかっていても、それは当たり前ではないのか。

おそらく昔からいたのでしょうが、長寿者がそんなにいなかったので
誰も問題視せず、歳をとればそんなものだと思っていたのではないか。
現在、問題なのは60歳代の認知症ないし予備群ではないでしょうか。

まだ現役世代なのに認知症になれば、本人も周囲も大変困ります。
だから平均寿命を超えるまでは認知症にならないようにしたい。
まあその前に平均寿命まで生きないと、その目的は達成できませんが。

認知症は老化? それとも病気?

私の答えは、「老化」でもあるし「病気」でもあると言えばいいのか。
「老化」の部分と「病気」の部分の割合がどうなのか、が問題です。
「年齢」という因子を充分に加味して評価することが大切では。

歳を取れば取るほど「老化現象」の意味合いが濃くなってきます。
脳にβアミロイドやタウ蛋白という「ゴミ」が、溜まってきます。
その程度が、果たして年齢相応であるかどうかが問題ではないか。

同じ認知機能であっても、年齢によってその評価は全く異なるもの
になると考えます。だから90歳なら、多少「ボケて」いても
笑っていたら認知症とは呼びません。

先日「治さなくてもいい認知症」という本を読みましたが、まさに
そのとおりに思える穏やかな人が、私の周囲にも沢山おられます。
90歳で穏やかなボケならば、病気と認識しないほうがいいのではないか。

「歳相応のボケ」と呼びますが、介護意見書にそう書くと怒られるでしょう。
一方、60歳で歳よりずっとボケていたら立派な「病気」だと認識します。
どの辺で線を引くかは、やはり社会生活に支障があるか無いかでしょう。

一方、「治せる認知症」も結構あるので診断には細心の注意が必要です。
例えば慢性硬膜下血腫であれば、簡単な手術で認知症症状は治ります。
あるいは甲状腺機能低下症であれば、ホルモン剤で劇的に改善します。

膝の関節にたとえてみましょう。
90歳を超えて膝が開き、腫れて痛む変形性膝関節症は「老化」でしょう。
しかし90歳でも、階段で膝を捻って靭帯を損傷したら「病気」だと考えます。

「老化」に医療が介入する余地は、
「病気」に医療が介入する余地と比べたら、格段に少ないはずです。
「老い」に逆らうことなど、そもそも出来るはずがない。

結局、「老化か病気か」という話をする前に、医学的に脳がどのような
状態であるのかをできるだけ客観的に把握することが何より大切です。
それを「診断」と呼びますが、その診断が間違っている場合をよく見ます。

たとえば、ある医者は認知症と診断し、別の医者はうつ病と診断し、
また別の医者はパーキンソン病と診断しているような場合です。
それぞれの医者が処方するお薬はまったく別物になり、副作用に泣きます。

そうした間違いは、60歳であろうが90歳であろうが論外だと思います。
診断が間違っていたら、おのずと治療法も間違うことになり、有害です。
診断がいかに大切か。なのにあまりに簡単に「ニンチ」と呼びすぎでは。

病名を付けることではなく、どこまで「病態」に近づけるかなのです。
認知症とは、単に「脳の機能が落ちてきた状態」という表現に過ぎず、
その落ちてきた機能は、一人ひとり、見事に違っているのです。

人間は元々「みんな違っている」のですから、認知機能の低下の在り様も
「みんな違っている」わけで、それをさらに「老化」か「病気」か?
と聞かれても、その人によって答えが変わってくるのが、現実です。

「老化か病気か」という議論の前に「今、どんな状態であるのか」を
把握でき得るのであれば、様々な情報を自分の感覚で刻んでおきたい。
意外かもしれませんが、CTやMRIよりも問診や診察が100倍大切。

家族の話を20分間聞いて、本人と20分間話や診察をすれば
だいたいの答が出るのが、町医者がやっている認知症診療です。
本当のことを言えば、たった3分くらいで感じて診断しています。

老化の範疇だと思う場合があれば完全に病気圏内だと思う場合もあります。
しかし病気であると判断しても、本人には「老化」だと説明する場合もある。
がんの場合と一緒で、説明の仕方ひとつで本人やご家族の心が揺れるからです

(続く)