《1569》 「止められない」から「止められる」時代になってきた? [未分類]

一昨日は認知症を勉強する町医者にはとても大切な1日でした。
東中野で「毎日がアルツハイマー2」という映画を観ました。
まだ「1」を見ずに、いきなり「2」を見たのですが、素晴らしかった。

暗いどころか、明るく笑いがあって、爽やかで、凄い映画です。
是非、機会があればみなさんに観て頂きたい映画。
いや日本人がみんな観ておくべき映画であると確信しました。

関口監督の感性が素晴らしい。
映像がいい。
音楽がいい、でいいことだらけでした。

上映後に「治さなくてもいい認知症」とう話題になっている本の
著者である精神科医の上田諭先生のトークショーもありました。
これがまた映画のモチーフともマッチして新鮮で良かったです。

そうかあ、認知症の中には、治さなくてもいいものがあるんだ。
医療が余計なことをしないほうがいい場合があるんだ……。
専門のお医者さんがそう言われる訳ですから、みんな驚いたはず。

その感動をあとに移動してもう一つのイベントに参加しました。
「認知症治療研究会」という認知症治療に熱心なお医者さんの会。
脳外科医、精神科医、神経内科などのお医者さんが沢山いました。

そこで、コウノメソッドで有名な河野和彦先生の講演を拝聴しました。
河野先生は、その日「医者は認知症を治せる」という本を出版された。
その本の帯には、なんと、「認知症の7割は治る」と書かれています。

とっても刺激的な講演で全国から集まった河野ファンの医師達は
従来の認知症医学に無い、新しい概念や治療法に魅了されました。
コウノメソッドとは毎年、どんどん進化、発展していく医療です。

そういえば「毎日がアルツハイマー2」の中でイギリスの医師が、
「認知症が面白いのは全く予測不能だから」と言っているシーンを思い出し、
だから医者もどんどん変化して当然だ!と呟いていました。

さて、昼間は「治さなくてもいい」という有名な医師の話を聞き、
夕には、「治せる!」という、さらに超有名な医師の話を聞いた。
そんな幸運な町医者は、世の中でおそらく私一人だけでしょうね。

治したほうがいいのか、治さなくてもいいのか?
治せるのか、治せないのか?
その夜、ずっと考えていました。

お二人の医師は一見、反対のことを言っているように見えて、
実は、かなり似たことを言っているのだと私は解釈しました。
一般の人には分りにくいかもしれませんので、分り易く書きます。

一つは、医原性の周辺症状が多いという指摘や薬の副作用です。
治そうとして薬を出して、むじろそれが有害になっている場合が多い。
しかも処方医が気がついてくれればいいが、気がついてない事が多い。

だから治さなくていいし、第一、そのほうが本人は幸せなことが多い。
治そうとしなくても充分幸せで、困っていない認知症が沢山あります。
しかし介護者が困っている時、医学ができるところは、してあげたい。

トークショーの中で私は上田先生に質問をしました。
「先生は認知症の方の何割にお薬を出しているのですか?」と。
上田先生は「6~7割の方に抗認知症薬を出していますよ」とのこと。

一方、河野先生は、間違った診断と間違った治療が多い実例を
沢山挙げながら、短時間で見事に改善させる動画も示されました。
そうそう、一昨日のテーマは、「歩行障害を治す」でした。

ほとんど歩けない状態の認知症の人を、短時間で改善させる「技」を
発見し惜しげもなく全国の医師にすべて伝授することを続けています。
病気を「治す」というより、誤治療を「直す」ことも多く含まれます。

さて今日の質問「認知症は止められるのか? 止められないのか?」です。

上田先生は「抗認知症薬は止めるのではなく、進行を緩やかにする薬で、
最大限上手くいっても現状維持です」というようなことを言われました。
ただし、「薬を上手に使えたらね」というニュアンスも感じました。

一方、河野先生が使われる「治す」とは、今困っている症状を改善できるのか? と聞かれたら、
7割は改善できますよ、という意味の「治す」でしょう。
たしかに、見せて頂いた患者さんのほとんどは短時間で改善していました。

患者さんが期待する「治す」ことは、上田先生にせよ河野先生にせよ、ありません。
もちろん4大認知症の話であって、慢性硬膜下血種や正常圧水頭症や
甲状腺機能低下症の話ではありませんのでそこは誤解しないでください。

さてさて、肝心の「止めらない」のか「止められる」のかという命題です。
これまでの医学常識では「止められない」、だと思います。
お薬とて「止める」のではなく、進行を緩やかにするだけなのが常識です。

しかし河野先生が目指しておられる医療は「止められる」だと想像します。
もちろん全部ではないし、どれくらいの時間なのかは分りませんが、
どこでも誰でも手軽に使えるお薬の力で、ある程度は止められる、のでは。

実は、私も同感です。
在宅医療で沢山の認知症の人を診ていますが、数年間も
認知症の症状が進行しない人が沢山いることを知っています。

抗認知症薬を飲んでいる人もいれば、まったく飲んでいない人もいる。
私は、お薬よりも環境や周囲の関わりのほうが重要だと考えています。
近著「ばあちゃん、介護施設を間違えたらもっとボケるで!」の中でもお薬のウエイトは1割と書きました。

ただ、特殊なケース、たとえば、ピック病の患者さんがアリセプトを服用していて暴れている場合などは、
簡単に周囲が困っている周辺症状を「治す」ことができます。
そのお薬が不適切であることを見抜きさえすればいいのだから簡単です。

何よりも映画「毎日がアルツハイマー2」に描かれているように、
家族の存在とイケメン介護士がいれば、充分「止められる」と思う。
現実には、お薬よりも家族と介護職の関わりがやはり鍵だと思います。

「止められない」か「止められるか」という話を、
骨転移がある前立腺がんの進行を「止められない」か「止められるか」に置きかえましょう。
もちろん適切なホルモン治療があれば一定期間「止める」ことは充分可能。

しかしそれでもいつかは効かなくなったり、老化や老衰が進んだり、、
別の病気や合併症などで、必ず生命体としても終わりがきます。
だから永遠に止められるのではなく、一定期間「止められる」のです。

その期間は、病型によって違うし、一概に言うのは大変難しいです。
しかし素人の町医者のつたない経験からいうと、環境と関わりさえ良ければ、
数年以上可能な症例を沢山診てきましたし、診ています。

以上をまとめますと、お薬を上手に使いこなせて、かつ介護が良ければ
認知症は「止められない」ではなく、「止められる」期間が充分ある。

その期間をできるだけ伸ばして、勾配を小さくするのが介護医療の役割。
患者さんからいろいろ勉強させてもらううちに、そう思い至りました。

そう、止められる!のです。

ちなみに「良い介護」とは、食べること、移動すること、笑うこと等です。
こうした人間の尊厳が保たれる介護があるか無いかで雲泥の差になります。

上田先生も河野先生も私も、多少は違うところはあるでしょうが、
目指している方向は、概ね同じではないかと思いました。

なにより現状がおかしい!という認識が、
本を書こう!というモチベーションになっている点は私も同じなのです。