《1577》 誰のための処方なのか [未分類]

認知症ケアの世界では、「パーソン・センタード・ケア」という考え方が
日本でも広く知られるようになってきました。
文字通り、認知症の人を中心にしたケアのことです。

関口祐加監督の映画「毎日がアルツハイマー2」では
パーソン・センタード・ケアの本場、
イギリスでの認知症ケアの様子がとっても分り易く描かれています。

ちなみにイギリス人医師の言葉「認知症はまったく予想不能な病気だ」は
私にとって、とても刺激的で、印象に残ったシーンでした。
「だから面白いのだ。そうだ、そうだ!」と思いながら観ていました。

一方、フランス発「ユマニチュード入門」という医学書が大人気です。
医学書という専門書が、よく売れることはあまりないことです。
ユマニチュードとは、ヒューマニテイ(人間性)から来た造語だそうです。

認知症の人の正面から視界に入って、目を見て微笑みながら、
そして身体に軽く触れながらコミュニケ―ションをとると、
認知症の人が歩けるようになる、というビデオも観ました。

それは奇跡でも魔法でもなく「技術」です、というのがこの本のコンセプト。
イギリスにせよフランスにせよ、日本人は外国ものに弱いですね。
音楽もファッションも車もそう。

認知症ケアに関わる人たちが列をなして、それらを勉強するのは
とてもいいことですが、へそ曲がりな私はちょっと冷ややかな目で
見たくなる時もあります。

「ということは、これまで患者さんは中心じゃなかったの?」、
「認知症の人も人間であることを忘れていたの?」と、
少し皮肉を言いたくもなります。いけないクセですね。

もう少し言うと(ああ、嫌われそうですが)、そんな当たり前のことが
当たり前でないのが、日本の認知症ケアの現状なのかもしれませんね。

施設の職員は「先生、問題行動をなんとかして下さい」とよく言ってきます。
あるいは「迷惑行動で私たち、困っているのです!」と迫ってきます。
そんな時、私はこう切り返してしまいます。

「誰が問題なの? その人? それともあなた?」とか
「誰が迷惑してるの? その人? それともあなた?」と。
こんなことを言うので嫌われるのでしょうが、私の素朴な疑問なのです。

さて、ここに究極の命題があります。

認知症の人と介護家族と、どちらか一人しか救えないとしたら、
パーソン・センタード・ケアやユマニチュードは、
いったいどちらを救うというのでしょうか?

もちろん両方大事です。
そんなことは当たり前として、それでもどちらかを
優先しなければいけない時が現実にはよくあります。

多くの家族は、おそらく施設や病院に入れて解決を図るのでしょう。
それ以外に方法はありません。

つまりパーソン・センタード・ケアやユマニチュードは、
主にそうした施設でのケアのお話かと思っています。
つまり施設の介護職へのメッセージかと理解しました。

一方、在宅療養で認知症の人を診てられる介護者も沢山おられます。
そもそも最初は、みんな在宅療養です。
途中のどこかで介護者が音をあげて、施設に預ける方が大半なのでしょう。

それでも在宅療養で頑張っている場合、
認知症の人に困った行動が起きた時に、
どちらを優先するのか? という命題です。

河野先生は、「家族を優先する」と言い切りますが、その点がすごいなと思います。
私はやっぱり本人でしょう、と思ってきましたが、河野先生の言葉を聞いてから
自分は、家族になんて無理なことを押しつけていたのかと反省する毎日です。

一方、丸ちゃんはなんて言うのでしょうか。
どちらも大切だけど、どちらと聞かれたら、ホント、なんて言われるのか。
私には想像もつきません。

患者か家族か。

人生の最終段階の医療の意思決定ならば、患者>>家族、と言いたいところですが、
認知症療養においては、患者<家族になるのは、考えてみれば当たり前かもしれません。
家族がいないと在宅療養が成立しないことが、ほとんどだからです。

とはいえ独居の認知症の方も何人か在宅医療で診ている私は、
実は「家族がいなくても笑って暮らしている認知症の人も結構多いのですよ!」
と言ってあげたいところです。

しかし、悩んで疲れ果てているご家族にそんなことはとても言えません。
たとえ言っても、なんの解決にもなりません。
それができないから悩んでおられるのですから。

だから「家族優先」を説く河野先生は、とても実践的だと思います。
つまり、本人が向精神薬で多少トロンとしても家族を救うためには、
仕方がないことだ、と言い切っておられるのです。

これは言えそうで、なかなか言えないことに思えます。
なんだか親鸞さんの思想に通じるようにも感じます。
そう言われると、介護者はホッとするのではないでしょうか。

要は、綺麗ごとではなく、割り切りが必要な時もある、ということです。
パーソン・センタード・ケアと対比させるならば、ファミリー・サポート・ケアかな。
そう、家族支援といえば、また丸ちゃんの登場なのです。

そういえば、10年前から「家族支援、家族支援」と、わめいておられました。
私はその時はなんのことかサッパリ分りませんでしたが、
最近、ちょとだけわかってきたような気がします。

河野先生もそうですが、家族の生の声にちゃんと耳を傾けて寄り添ってきた人は、
「家族支援」の重要性が本能的に理解できているように見えます。

たしかに家族が喜べば、そこから新たに良いケアが生まれる可能性が高くなります。
つまり、悪循環から好循環への転換を図るのが、コウノメソッドの醍醐味なのでしょう。
河野先生の主張は一見単純そうに見えて、実は奥が深いな、なんて思っています。

いずれにせよ、医師がお薬を処方する場合、それは「いったい誰のための処方」なのかを、
まず考える必要がありそうです。

高血圧や糖尿病や腰痛であれば、もちろんその人のための処方に決まっています。
100%本人のためです。

しかし認知症の場合は、いろんな処方を見た時に、
本人のためと、家族のためのウエイトを
嗅ぎわける必要があるのではないかと思います。

つまり、周辺症状で困っている人に例えば抑肝散を処方した場合。
それが本人のためが6割、家族のためが4割、といった具合に
誰のための処方なのかを意識したほうがいいのではないかと考えるようになりました。

そうした一種の割り切りが、認知症ケアには必要な気がしてきました。