《1579》 認知症に大切なのは、関わりと環境 [未分類]

これまで、薬のことを書いてきました。
抗認知症薬や抗精神病薬が怖くなった方もおられるかと思います。
実は私も怖いのです。

できれば、どちらも使いたくありません。
最後の手段として取っておきたいのが、お薬というものです。

しかし、ご家族や施設の職員がそれを許してくれない場合がよくあります。
薬を出さない医者=ヤブ、と言われることがよくあります。

つどい場さくらちゃんに行けば、「すぐに薬を出す医者=ヤブ」、なのですが、
世間一般ではそうではないようです。

世間の様々な外圧と、ヘンな医者のプライドという内圧に負けて、
ついつい出してしまうのがお薬というものです。

しかしパーソン・センタード・ケアなりユマニチュードのように
良いケアさえ普通にあれば、そうそう薬の出番は無いはず、だと内心は思ってきました。
つまり認知症とは「関係性の障害」であると介護界の大物に教わってきたからです。

関係性の障害?
なんじゃそりゃ? と思われる人がおられるでしょう。
文字通り関係性がうまく保てなくなる、という意味です。

たとえば「嫁が財布を盗った」という被害妄想が出まくりのおばあさんは、
そのおばあさんが悪いのでしょうか? 周辺症状という言葉で片づけるのでしょうか?
いや、おばあさんだけが悪いのではなく、嫁のほうにこそ大きな責任があるのです。

もしも嫁が、認知症ケアに優れた良い嫁だったならば、
きっとそのおばあさんの被害妄想はそこまで酷くならなかったでしょう。
「良い」とは、上下関係を作らないフラットな目線の関わりという意味です。

上から目線が続いた結果、いつしか関係性に上下関係ができてしまいます。
人間はやはり、誉められたい、感謝されたい、優位に立ちたいと思うもの。
しかし下の立場が続くと「いつか見返してやろう」というマグマがたまります。

そのエネルギーは、いつかまさに火山のように噴火します。
上下関係を一挙に逆転させようとするエネルギーが爆発するのです。
それがいわゆる被害妄想であり、関係性の逆襲によって起こるという解釈です。

「嫁が財布を盗った!」というおばあさんも
「私は3年間、あの有名人に無茶苦茶にされた!」と週刊紙で告白する
元愛人も実は同じで、関係性の逆襲を無意識にしているという解釈です。

つまり、おばあさんの被害妄想は関係性の中から出てくる部分が大きいのです。
関係性が分かりにくければ、「関わり方」という言葉の方がいいのかもしれません。
いずれにせよ多くの周辺症状は、関係性(関わり方)に大きく左右されるのです。

犬と人の関わりと比較してみましょう。
犬好きの人が来れば、犬は瞬時に見抜き、近づいてじゃれてきます。
しかし、犬嫌いが近づくと、反対にガブッと噛みつくこともあります。

犬は右脳でその人間が自分をどう思っているのかを瞬時に判別して
対応していることは、想像ではなく研究で明らかになっています。
実は認知症の人も同じように、相手によって対応が180度変わるのです。

認知症の人は左脳機能は低下しますが、右脳機能は比較的保たれていて、
相対的に右脳優位になっているという説があり、私は信じています。
つまり、認知症とは、左脳人間が右脳人間になるというのです。

理屈人間から直感人間に。
理論人間から感覚人間に。
理性人間から本能人間に。

脳が変われば、性格や生き方が変わってくるのです。
これって、考えようによっては素晴らしい第二の人生なのかもしれません。
認知症の人とずっといると、確かになんだかうらやましくなる時があります。

今を生きられて、楽しめて、過去を振り返らない(返れない)。
我々は過去を引きずるから苦しむのです。
飲めない酒を飲みすぎては、さまざまな失敗を重ねるのです。

犬にはそうしたストレスはありません。
素直に今を生きているのです。
犬と人間を一緒にしたら怒られるかもしれませんが、そういうことです。

認知症になるということは、可愛い犬になるという側面があるのではないか。
私のような過去を引きずる憎たらしい野良犬より、チワワのような可愛い
じゃれつき方をする犬の方が、人間に好かれるのは当たり前です。

いずれにせよ、関わり方が悪いと周辺症状は激しくなる一方です。
しかし関わり方がいいと、周辺症状はあっても穏やかな許容範囲です。
だから、周辺症状にはお薬より関わり方なのかなと、ずっと思ってきました。

それがヒューマン・センタード・ケアであり、ユマニチュードでしょう。
もちろんケース・バイ・ケースで、このように単純化できないと思います。
関わり方と言ってももちろん一様ではなく、関係性にも多様性があります。

そして関わり方と同様に大切なことは、「環境」です。
認知症だから周囲の状況はあまりわからないだろう、ではないのです。
認知症になり不安だからこそ、周囲の状況を瞬間的にキャッチするのです。

理屈抜きに気持ちのいい場所は、認知症の人にはもっともっと気持ちがいい。
認知症でない人より、認知症の人のほうが置かれた環境に敏感になります。
小さな子供は病院の門をくぐれば警戒し、敏感になり、白衣を見ただけで泣きます。

関係性と環境に配慮することで、中核症状も周辺症状も大きく変わります。
「置かれた場所で咲きなさい」とは、むしろ認知症の人への言葉であって、
できるだけその人が快適だと感じる環境に置いてあげないといけないのです。

「認知症は全く予測不能」とイギリス人医師が言った理由は、きっと
こうした関わり方によって未来がいくらでも変化するという意味でしょう。
「予測不能」とは意味深で、どうにでも変えられるというメッセージなのです。

私の中には、関係性なのか薬なのか、という命題が常にあります。
だから95%は関係性、だと書いてきました。
しかし5%のお薬の部分の工夫も大切な課題だと河野先生に教えられました。

コウノメソッドは、その5%を50%に変えるキッカケを与えてくれます。
そう、お薬によって関係性が大きく好転することが、いくらでもあるのです。
関係性の逆襲とは介護者と本人の両方の在り方を、お薬で変えることは可能です。

介護者のストレス軽減のために安定剤を処方することが、時々あります。
それは単に介護者を休ませるという意味だけでなく、介護者の精神状態を
薬でいい方向に変えて、関係性もいい方向に変えようとしているのです。

というわけで今日は、認知症に大切なのは、関わりと環境であるということ
について私の想いを書かせて頂きました。

PS)
今日から4日間、お盆休みを利用して、台湾に講演や視察に行ってきます。
明日は、仁徳医専に行き、「死亡体験カリキュラム」を体験します。

明後日は、嘉義キリスト教病院に行き、台日ホスピスと
在宅医療交流会で平穏死の講演もしてきます。