《1581》 ユマニチュードは目新しい? マニュアル化の功と罪 [未分類]

ユマニチュード入門という本を読みました。
テレビでも大きく紹介されましたが、フランス生まれのこの考えかたを
わかりやすく解説したこの本は素晴らしい内容です。

そう思った私は、すぐに職員にこの本を題材にした院内講演会も行いました。
その後も繰り返し、読んでみました。
しかし読めば読むほど、素朴な疑問が生まれました。

「ユマニチュードはそんなに目新しいのか?」
「本当にユマニチュードだけで認知症は解決するのか?」

さらに
「これって、認知症に限らず、医療や介護の基本ではないのか」
という素朴な疑問も浮かびました。

  • 患者さんの目を見て笑いながら話す
  • 軽く体に手を添えてコミュニケーションを図る

実は医者になる前から私はこうしたことをやっています。
医者になってからも外来や在宅で毎日、何十回もユマニチュードらしきことをやっています。
毎日、触りまくりです。

外来でも話しながら、全身を触りまくるのが私の診察スタイルです。
聴診器をあてるより、まず触診。
若い女性には誤解されるのでやりません。

高齢女性は絶対に嫌がりません。
「全身を診たいですよ」というメッセージでもあります。
在宅診療ではもっと長い時間触っています。

患者さんと触りあいをしていることもよくあります。
そんな日常ですから正直、これがそんなに目新しいと感じる介護関係者が
多いことに少しショックを受けました。

そういえば、介護施設から「入所者が暴れている」と呼ばれた時に、
遠巻きに見ているだけの介護スタッフと、ユマニチュードのような
対応をしているスタッフの2種類がいることに気がつきました。

ユマニチュードはできる人にはできて、できない人は一生できないものだと思ってきました。
しかしこうした本が有名になることで、できなかった人や興味がなかった人が勉強して
少しでも実践していただけるのなら、マニュアル化も効果があると思います。

ただ、マニュアル化の限界や弊害も知っておく必要があると思います。
ファミリーレストランやコンビニでのマニュアル対応の是非と似ています。
特に認知症ケアの世界は、マニュアルどおりやったのでハイ終わり、とはいきません。

マニュアル化は手段であり目的ではありません。
画一的なやり方だけでは、すぐに行き詰まるでしょう。
行動の奥にその人を思う心があって、自然に出る形で実践できればいいですね。

私は人間のヘンな介護のせいでおかしくなる場合があるのではと思っています。
ヘンな介護をするぐらいならロボットのほうがマシな場合もあるのでは、とも。
ロボットは虐待もしませんし。

あるいは、犬や猫のほうが認知症の人を癒す力を持っているような気さえします。
ある認知症の人が一匹の犬を抱いた瞬間に、それまで見たことがない笑顔がこぼれました。
その時から、人間より癒し犬のほうがずっと力を持っているような気がしてなりません。

まさに、イヌニチュード。
淡路島ではたしか、認知症の人を馬に乗せて元気にしていました。
これは、ウマニチュード。

さて、ユマニチュードだけで認知症は改善するのでしょうか?
テレビでは「改善する」、本の表紙では「魔法でも奇跡でもなく技術」と紹介されていました。
たしかに「自分は大切にされているんだ」と感じたら気分が良くなり、自然に笑顔が出るでしょう。

これは子供も高齢者も関係無く、人間すべて、いや動物すべてに共通する効果でしょう。
その中でも特に効果があがるのが認知症ではないでしょうか。
「お薬とユマニチュードのどちらが効果があるか?」と聞かれたら、私はユマニチュードに軍配をあげたい。

「認知症は関係性の障害」であるという視点に立てば、当然そうなります。
しかし一方、「脳内のアセチルコリンの減少」という立場に立てば、コウノメソッドを主体とした
薬物療法が前面に出ます。

しかし両者は相反するものではなく、協働するべき関係にあります。
私が目指しているのは、ユマニチュードとコウノメソッドのいいとこ取りです。

実は、ユマニチュードとコウノメソッドに流れる思想は、単に認知症ケアに限らず、
がんや難病などさまざまな慢性病と闘っておられる方に必要な実践哲学だと思います。

もっと言えば医療のキホン。

医療もゴルフも芸事もみんな同じ。
基本に始まり基本に終わる。
基本ができていないと、後がどうにもならない。

だから「入門」とタイトルにあるように、まずはそこから入ってほしい。
特に医学教育、看護教育、介護教育現場で、最初はすべての人に
ユマニチュードとコウノメソッドの思想を教えたらどうでしょうか。

そうすれば、認知症ケアがもっと楽しくなるのではないかと思っています。