《1582》 介護も進化できるのか? [未分類]

街の中には、制服を着たヘルパーさんやケアマネさんが自転車で走りまわっています。
どこの街でも朝夕には、デイサービスの送迎車が何台も行き通う時代に生きています。
運ばれている多くは、認知症の人です。

また特養やグループホームにも認知症の人が沢山生活しておられます。
それに呼応して介護職に従事される方も増えました。
高齢者や認知症の増加は、新たな雇用を生み出している側面もあります。

認知症に関連した介護事業は今後10年間、確実な成長産業です。
その成長産業の中で、パーソン・センタード・ケアやユマニチュード、あるいはコウノメソッド
(全部横文字ですが)という言葉を知っている介護スタッフは一体どれくらいいるのでしょうか?

この素朴な疑問に対して日々、訪問する先々で出会う介護職の方に質問してみました。
残念ながら、「知っている」と言ってくれた人はほとんどいませんでした。
「聞いたことがある」という人がわずかで、大半は「知らない」でした。

ちなみに私が何冊か書いてきた「平穏死」と同じくらいの知名度でした。
関心はまだまだ低く、これからだなという印象を持ちました。
あと数年はかかりそうな予感がしました。

実は、医師や看護師にもかたっぱしから同じことを聞いてみました。
コウノメソッドは、半分くらいの医師が「聞いたことがある」と答えましたが、
パーソン・センタード・ケアやユマニチュードはほとんど知りませんでした。

私は、みんな何を教科書にして認知症診療をやっているのかな?
という素朴な疑問を持ちました。

おそらく多くの医師は、昔の精神科の教科書ないし製薬会社が主催する講演会や
MRさんから病気やお薬の情報を得ているようです。

もちろん若い医師はそんなことしなくても、
インターネット経由で講演も自由に聴ける便利な環境下にあります。

いずれにしても、認知症医療に関する最新情報の発信源は製薬会社に
偏っている気がします。
いや最近、偏り過ぎているのではないかと思うようになりました。

たとえば、私の身近にある「NPO法人つどい場さくらちゃん」のような
介護家族の生の声を聴くチャンスは、世の中では残念ながらほとんどありません。
あるいは患者さん本人の声を聴く機会は、まずありません。

そこががん医療と認知症医療の大きく異なるところです。
がん医療では、患者さん自身がブログや書籍で「抗がん剤治療でこんなに辛い目にあった」
と発信できます。

しかし認知症患者さん自身が、「私はアリセプトでこのようなことになった」
なんて発信をされることはまずありません。
発信できるのは家族だけなのです。

それだけに家族の声を重く受け止める必要があるのが、認知症医療の特性だと思います。

極論すれば、認知症ケアにおいてはEBMよりも家族の生の声の方が
エビデンスレベルが高い、とすら私は思っています。

あるいはそうした経験(experience)を包含した情報全体で判断していくことが
重要であると思います。
生きること、笑うことにエビデンスなど関係ありません。

その場の空気だけが勝負です。
こうした特殊な感覚を理解できる医者だけが認知症診療を許されているような気がします。

介護職は医療を見ています。医療のいいところだけを見てくれればいいのですが、
もちろん悪いところも見てしまいます。

「認知症=お薬」ではないことは何度も書いてきましたが、
介護職こそお薬に頼らずケアしていただきたいと願います。

そしてまずは、医者や薬を疑ってかかってください。
というのも、誤診や薬の副作用を見つけるチャンスは介護職のほうが格段に多いと思います。

以前、在宅で診ている認知症の人のホームヘルパーさんから電話が入りました。
「脈拍が30ぐらいですが、抗認知症薬の副作用ではありませんか?」と。
慌てて往診して心電図を取ると高度房室ブロックで、ペースメーカーの適応かと思われました。

しかし高齢で家族は入院を希望しないこともあり、まずはその抗認知症薬を止めてみました。
すると2日後には、徐脈は改善していました。
介護職が疑ったとおり、極端な徐脈はおそらく抗認知症薬の副作用だったようです。

ホームヘルパーさんが危機一髪を教えてくださり、助かったのです。

実は今、台湾にいてこれを書いています。
これから帰国します。
昨夕、台北の街を歩いていたら、車椅子を反対に向けて押している親子がいました。

どうやら認知症らしき女性を乗せてその顔を見ながら、娘さんが車椅子を押していました。
車椅子は逆向きにして押せるように少し改造されていました。

そういえば昔、おかあさんが赤ちゃんを背中におんぶしていましたね。
しかし現在は、多くはお母さんの体の前に帯で支えて抱いています。
そうした対面式ダッコのほうが赤ちゃんの顔が見られるので、いいのでしょう。

認知症が赤ちゃんに還ることならば、車椅子もこうして逆向きに押したほうがいいのかも。
顔を見ながら押したほうが認知症の人の笑顔が見られるのではないか、と感心しました。
雑踏の中で、目からウロコとはまさにこのことでした。

介護の世界での発想とはこういったところにあるような気がします。
これまでの常識を疑うことなくただ踏襲するだけでは介護は進化しないと思います。
常に、よりいい介護を目指して、時には発想の転換を図ってほしいです。

認知症医療も認知症介護も、長い目で見ると今はまだ黎明期のような気がします。
10年後、20年後を想像するとおそらく今と全く違ったものになっているでしょう。
きっと新たな発見が沢山あるはずです。そうしたことを考えるとワクワクしてきます。

PS)

一昨日は、台中のひとつ南にある嘉義という駅で新幹線を降りて、
嘉義キリスト教病院の緩和ケア病棟に行き、講演をしました。
台湾の緩和ケアや在宅医療の現状を学び、多くの意見交換をしました。

「死亡体験カリキュラム」にせよ、「安寧緩和医療条例」にせよ
台湾には日本の医療が学ぶべきヒントが沢山あります。
興味のある方は、私の個人ブログも覗いてください。