《1583》 治さなくていい認知症 [未分類]

精神科医の上田諭先生が「治さなくてよい認知症」という本を
世に問われた意義は大きいと思います。

それまで「認知症は治せない。しかし医者だから治そうとしなければいけない」
という自分で勝手に作った呪縛に陥っていたような気がしてならないからです。

上田先生は、生活に困っていない認知症は放っておいて構わない、
治そうとしなくても構わない、と勇気を出して発信されたわけです。
考えてみれば、治療学一本槍だった認知症医療界に一石を投じたわけです。

そしてその一石は、すでに大きな輪として広がりつつあります。

私の外来にも「先生、母親の認知症を治して下さい」と駆け込まれる方が沢山います。
CTでは脳の萎縮は年相応なのですがMMSEは10点で、中等度認知症と診断しました。

しかし本人はニコニコして、私との会話を楽しんでいる。
冗談の言い合いもできる、なんて人が何人かおられます。
しかし連れてきた息子や娘さんの眉間には、深いシワが刻まれている場合があります。

咄嗟に「ああ、治さなくてはいけないのは子供さんの方だなあ」と確信しますが、
初対面でそんなことは口が裂けても、いくら私でも、言えません。
子供世代のこうした苦悩に応えることこそが私の任務だからです。

このように「本人は幸せ、しかし子供は不幸せ」というケースによく遭遇します。
子供世代は当然、認知症進行=施設入所と考えて、どんどん施設探しを始めます。

「どの施設がいいのですか?」と聞かれても、その人によって合う施設と
合わない施設の2通りがある、としか答えようがないのが本音です。

本当は「治さなくていい。放っておいていい。家族は見守りだけ
してくれればいい」と言いたいところですが、これは一般論です。
人によっては良い施設に入ったほうがいい人も当然います。

以下は私の親友のお母さんの話です。

現在84歳になる彼女には、腎臓がん、心筋梗塞などの既往歴があります。
数年前からアルツハイマー型認知症を発症。記憶障害を中心とした中核症状は
徐々に進行し、不安の増大も相まって息子に頻回に電話がかかるようになりました。

1日に何度も同じ内容の電話をかけますが、前回の内容は全く覚えておらず
毎回初めて電話するような話ぶりでした。
慌てた息子は、認知症専門医を受診させようとしましたが、本人は強く拒否。

両膝の変形性関節症もあり、介護認定では要介護1と判定されたそうです。
デイサービス利用は嫌がり、ホームヘルパーが週2回位入っていたそうです。
こうしたサービスは喜んで受け入れたそうです。

独居であるため息子さんは、火事などを恐れて悩んだ挙句、施設入所を考えて、
いくつかの介護施設を探し回りました。
しかし肝心の本人は病識がまったくないため入所に同意せず、「放置」することに。

社交的で活動的なお母さんは、毎夕の外食と週3回のカラオケ同好会が趣味でした。
がんや心筋梗塞や変形性関節症のために一時期は外出できない状態でしたが、
3年ほど前からは小康を得て、自由に外出、移動できるようになりました。

彼女は、毎日バスに乗って最寄りの繁華街に毎日通うようになりました。
曜日別に通う定食屋を決めていて、毎回違うメニューを選ぶそうです。
一食につき数百円程度の出費なので、そのまま見守っていたそうです。

繁華街への往復には、バスを使うのですがそれぞれの停留所まで
20分も歩いて乗るそうですが、いい運動になっているようでした。
カラオケ同好会への参加も、無料のバスを使っているとのことです。

時々迷子になるそうですが、一見徘徊にも見えるお母さんの行動を
兄弟姉妹が協力して黙って見守ることにしたそうです。
また先手を打って毎朝、子供たちが交代で電話を入れるようにしたそうです。

果たして3年後、お母さんの認知症は息子さんが驚くほど改善したそうです。
依然として月日はまったく分りません。
しかし定食屋さんに行くためでしょうか、曜日は分かるようです。

テレビを買ったのを忘れたのか、2台も届くという程度のトラブルはありますが、
今も笑顔で活き活きと生活している、という話を聞きました。

彼女は、専門医も抗認知症薬もユマニチュードも無しで、著明に改善しました。
敢えて言うなら、彼女のやりたいことを周囲が最大限尊重して、
ただただ「放置して見守った」だけでこれほど改善したのです。

この話を聞いた時、上田諭先生の「治さなくてよい認知症」が思い浮かびました。
治さなくていい → 徐々に悪くなるないし横ばい、ではなく、
治さなくていい → 勝手にどんどん良くなる! というケースも実際にあるのです。

もちろん病前性格にもよりますが、認知症の中には、
ただただ放置することだけで著明に改善する人がいることをごく最近、学びました。