《1585》 (その3)オリンピックと認知症と徘徊町づくり [未分類]

→ (その2)から続く

田中君(仮名)のお母さんは、これまで何度も徘徊したそうだ。

もっとも、私だって今や、ただ家の周囲を散歩しているだけでも家族から「徘徊かも?」と疑われる。だから徘徊かどうかは本人に尋ねてみないと分からないはずだ。

もし声をかけて聞いたならば、男性ならきっと「仕事に行こうとしているのだ」、女性なら「買い物にいくのよ」と言うのだろう。

私は時々、時間つぶしに見知らぬ街をうろつく趣味もあるが、これこそ「徘徊」なのだろう。ちなみに欧陽菲菲のヒット曲「雨の御堂筋」の台湾版は、「雨中徘徊」というタイトルなのだ。そう、恋人と別れたら、若い女性でも「徘徊」するのだ。

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2014年にお母さんが徘徊した時は大変悩んだという。A市から40キロも離れた田舎のB市で警察に保護されたのだ。

当時、別の大都市であるC市で認知症の人がJR線路内に入ってしまい、列車に轢かれた事故の判決が出たばかりだった。一審の地裁では遠くの長男に720万円の賠償命令が、二審の高裁では今度は同居の奥さんに360万円の賠償命令が出たことがニュースで伝えられていた。

当時まだサラリーマンだった田中君は、この判決に大変ショックを受けたそうだ。「俺のお袋もそろそろ年貢の収めどきかな」と、認知症の在宅療養を諦めかけたそうだ。休日をすべてつぶして近隣の介護施設を10軒ほど見学して回ったという。長男としてもっともだろう。世間に迷惑をかけたうえに裁判で吊るしあげられるのなら背に腹は代えられないと、当時は誰でもそう受け止めた。

しかしそんな時、本屋で目についた尼崎の変わった町医者と西宮の丸尾さんという方が書いた「ばあちゃん、介護施設を間違えたらもっとボケるで!」という当時のベストセラーを読んでから、少し考えが変わったという。

その本の中にはたしか「徘徊は仕方が無い。それを容認する社会に地域住民が変えるべきだ」みたいなことが書かれていた記憶がある。それを読んでから施設に入れることを少し思い留まり、「もう少しだけ様子をみてみよう」という気になったそうだ。

ちなみにC市の裁判は最高裁まで争われた。認知症の家族を支える諸団体や市民団体が強く抗議した甲斐もあったのか、条件付きで「無罪」となった。その条件とは「ただし今後、徘徊高齢者を地域住民が見守るシステムを各自治体がつくること」だった。

すなわち、徘徊高齢者の責任の所在を市町村行政に求めたのだ。最高裁判決は当時、大きな反響を呼んだ。

全国各地で「最高裁判決の是非を考える市民集会」が開かれることとなった。様々な立場から様々な意見が交わされたが、最終的にはどこもだいたい「こうした問題は個人の問題とするのではなく、今後は社会の課題として受け止めるべきである」という結論に達した。

以降、徘徊に対する社会の見方は大きく変わった。多くの自治体は介護保険給付の予算の中に「徘徊対策費」を予算計上し、徘徊模擬訓練やC市の事故のような事態の保障対策に充てる腹を決めたという。その意味では、C市の事例はとてもいいきっかけになったのだろう。今、振り返ればそう思う、と田中君は呟いた。

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実際に2014年以降、全国の自治体で徘徊模擬訓練が繰り返し行われるようになった。福岡県大牟田市が一番のモデルになったが、各自治体の地域性を考慮した形にアレンジされた。またたく間に、全国で300以上もの自治体がモデル事業に名乗りをあげた。これは全国の基礎自治体の約5分の1に相当する。それだけ変われば全体の空気が一気に変わるのが日本社会の特徴だ。

小学校の科目「健康」の中の「認知症」の項目のなかで、「徘徊高齢者の接し方」が必修授業に指定された。当然、「ユマニチュード」や「パーソン・センタード・ケア」は子供たちでも知っている社会常識になっていった。

『子供の数より高齢者の数の方が多い自治体が過半数を占める』という現状を背景に、徘徊模擬訓練はスムーズに行われた。徘徊高齢者を見かけたら、小中学生はまずスマホで「徘徊ネット」をタッチして「只今徘徊中!」という項目の顔写真を探すクセがついていた。やはり何かと目が早い小中学生が、徘徊高齢者の発見には向いているようだ。

全国の自治体に「徘徊町づくり協議会」のようなものが結成され、行政の支援を受けながら様々なイベントが開催されるようになった。ここまで来ると、単に徘徊をダシにした町づくりのようにも思えたが、世の中は「超高齢社会を乗り切るならそれでもいいじゃないか」という雰囲気に包まれていた。

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田中君のお母さんはその後、2016年、2017年と2回徘徊した。しかし徘徊に気がついた田中君がスマホから捜索登録をすると、2回とも1時間以内に地元の中学生が見つけてくれたという。

比較的近くの学生さんだったので、それを御縁に何度か家に遊びに来てくれたそうだ。お母さんはやはり若い男の子のことだけはちゃんと覚えるようで、来るたびにたいそう喜んだそうだ。

「認知症といえども、自分にとって最も大切な情報はちゃんと覚えているんだから」と田中君は笑っていたが、実際そのとおりだと思う。情報の引き出しがだんだん少なく小さくなり、どうでもいいことはすぐに忘れるが、それでも自分にとって大切な記憶はなんとか保持できているのが認知症なのだ、と思うようになったという。

母親の徘徊がきっかけで、徘徊へのイメージが大きく変わったどころか、認知症という老化現象への認識も180度変わったそうだ。

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2020年の東京オリンピックは、いろんな意味で大成功だった。日本人選手の大活躍や“おもてなし”をはじめとする日本特有の文化が世界中に大きく発信され、空前のニッポンブームが起きた。

オリンピックに先立ち、各地で様々な下準備が行われた。

世界中からの来客に備えるべく、東京都はいち早く「受動喫煙防止条例」を制定した。小規模店舗も含め、全ての店舗やオフィスでの喫煙が禁じられた。喫煙室や分煙という言葉はそれ以降、完全に死語になった。

違反者には異例の厳しい処分が科せられる事になった。それもそのはず。2014年当時の日本は、FCTC(タバコ規制枠組み条約)に批准して10年も経過したにも関わらず、条約内容が一向に遵守されていないと世界から厳しい目で見られていた事情がある。

同年、エチオピアが178番目(アフリカでは42番目)のFCTC批准国になったことも背中を押したと言われている。なにせFCTCは国際条約だ。一方のTPPは国際協定。協定より条約の方が優先するので、オリンピックを機に世界標準に合わせる必要に大きく迫られていたのだ。

タバコは認知症の最大リスクなので、これはいいチャンスだったとかつてはヘビースモーカーであった田中君は評価した。ちなみに、2014年に1960年代以降初めて20%を下回った喫煙率は、2020年には15%まで下がり、目標の10%まであと一歩という状況だった。

もうひとつ、興味深いことが起きていた。オリンピックとパラリンピックの一部同時開催だ。こうしたノーマライゼーションの波は、スポーツ競技者だけでなく観客にも及んだ。

2020年を楽しみに待っていた全国の高齢者は、観戦のため一斉に東京に集まることになる。たとえばA市にあるNPO法人「まじくる」は、「認知症とその家族のためのオリンピック観戦ツアー」を限定100組で募集したところ、なんとその日のうちに満席になったという。それが噂になり、同様のツアーが全国各地で組まれ、まるで甲子園の高校野球の応援団のように全国から認知症の人達も東京に来ることになったのだ。

2017年あたりから「オリンピックを一目見てポックリ死にたい!」が高齢者の間で流行語になったことも背景として挙げられる。略してPPKならぬ、OPSと呼ばれるようになっていた。気の早い町医者が書いた「平穏死とOPS」というふざけたタイトルの本がベストセラーとなっていた。

主催者が頭を悩ませたのは、まずは都内での徘徊対策だった。当然、介護者がちょっと目を離した隙に徘徊しはじめる高齢者が大量発生することが予想された。しかしこれは、子供の迷子対策とどこが違うのか? そういう議論を経ながら、最終的に各自治体の「徘徊町づくり協議会」のいいとこ取り作戦が主催者のなかで真剣に検討された。

結局、スマホを活用した徘徊対策がオリンピック版として練られ、大規模な徘徊実験がぶっつけ本番で行われることになったのだ。転倒・骨折や急変などが予想されたため、保険会社は急遽「OPS保険」を売り出し、大きな話題になっていた。オリンピックの経済効果がここまで広がるとは、主催者もさすがに予想していなかった。なにせ高齢者の4人に1人が認知症という時代なのだ。

東京オリンピックが無事終わり、認知症高齢者にどれほどの事故があったのか集計がなされた。主催者が驚いたことに、徘徊は毎日数10件程度確認されたものの、ほとんどがスマホレベルで解決され、重大事故は1件も報告されていなかった。おそらく転倒事故などはたくさん起きたのだろうが、大きなトラブルは起きなかったのだ。

これには世界も驚いたようだった。なかでも認知症を極度に怖がっていた欧米はかなり敏感に反応した。欧米の新聞では、認知症高齢者がこれだけ大量に大移動しても大きなトラブルが生じなかった日本の認知症対応型町づくりを「我々も大いに参考にすべきだ」という論調の社説まで見られた。

“おもてなし”と並んで“みまもり”も日本独自の文化として大々的に欧米メデイアで紹介されるに至り、いちばん驚いたのは日本人自身だった。

 

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田中君のお母さんも、寝たきりのお父さんも含めた一家5人で2泊3日の観戦ツアーに参加したという。懸念された疲れや病状の悪化などまったく見られず、それどころか行く前より見違えるほど元気になったそうだ。

あれ以来、お母さんは「また行きたい!」、お父さんは「オリンピック、オリンピック!」と毎日せがむので困っているとのこと。「オリンピックが認知症の人には何よりも特効薬だったよ」と苦笑いしていた。

(続く)