《1605》 穏やかな朝 [未分類]

最近、膵臓がんの人を何人か自宅で看取らせていただきました。
いや、家族が看取ってくれてその後行って診断書を書きました。
そういえば、知人も何人か膵臓がんで亡くなりました。

この数年、膵臓がんが増えているな―と感じます。
症状が出た時にはもう遅いことが多い。
手術や抗がん剤を一応受けるも、結局だめなことが多い。

膵臓がんで私が助けた! と言える人は何人もいません。
直径1センチ位でエコーで偶然発見するか、
検診などでCA19-9の値が少し高くてひっかかった無症状の人くらい。

末期膵臓がんの在宅は、ほぼ100%在宅看取りになります。
もっとも在宅療養に向いている病気だと経験上、思います。
平均在宅期間は約1カ月と、がんの中では短い方です。

家族の介護負担は、病気の中ではさほど大きくありません。
胃がんや大腸がんに比べて、腸閉塞になりにくいのも特徴。
つまり、最期まで食べられるのがまだいいところ(?)です。

その人は病院で余命3カ月と言われて3カ月目に家に帰ってきました。
つまり当初の余命宣告ではもう余命は無く、ゼロからのスタートでした。
ガリガリに痩せた体ですが、家に帰ってきたら笑顔が戻りました。

少しずつしか食べられませんが、しかし確実に何か食べられました。
私は週に1回しか行きませんが、いつ行っても笑っていました。
痛みもそう強くなく、痛み止めも最少量の処方で充分でした。

在宅開始時に「余命1カ月くらい」と家族だけに説明しました。
しかし1カ月経過しても、ガリガリですがそこそこ元気でした。
そこで「ここからあと1カ月くらい」と余命宣告を延長しました。

しかし、またまた2カ月経過しても、笑顔で話せる状態でした。
さすがに誰が見てもさらにガリガリに痩せてきたので
「ここからまた1カ月」と2回目の延長を家族に説明しました。

いいんです。
余命なんてとてもいい加減。と、
その時も家族に説明していました。

本人には「我々だって、明日は分らないのだから
今日一日を後悔がないよう、楽しみましょうね」と。

本人は余命のことなど聞いてきません。
9割以上の人は聞いて来ません。
きっと医者の答えが、怖いのでしょうね。

たまに聞く人がいても私は「大丈夫、大丈夫」と言うだけなのですが。
しつこく聞く人には、「分らないし。よく外れる」と正直に言います。
私は1日1日を笑って暮らしてもらえるか、その1点だけが関心です。

果たして3回目の余命宣告が的中して、とうとうその日が来ました。
その家に初めてきてからちょうど3カ月後に静かに旅立たれたというのです。

朝一番の家族からの電話でした。
トイレに自分で行こうとして気分が悪くなったそう。
前の夜は、少しだけですが、果物を食べられたそうです。

痛みもほとんどない。
本当に死ぬ日まで、トイレに行き、なにかしら食べている。
膵臓の看取りはそんな感じです。

最近、病院にお見舞いに行った、膵臓がんの知人2人が頭に浮かびました。
顔とお腹だけがパンパンに腫れあがり、体中が管だらけでした。
数えてみたら、6本も管がついていました。

病院は管だらけ。
しかし自宅では多くの人が、管は1本も無い。
本当に自然な姿で旅立って行かれる。

しかも最期まで移動と食事ができる。
しかも痛みもそう強くない。
しかもその人は予想の3倍も長生きした。

以上は事実です。
しかし病院の先生には信じてもらえません。
2年間、いろんな病院で話してきましたが、あまり伝わりません。

亡くなって診断書を書くために駆けつけた時、とても穏やかでした。
お茶やお菓子、時には食事まで出て来ます。
いろんな想い出話をしながら家族は全員、泣き笑い。

「これが平穏死なのですね。本当だったんですね」
必ずそんな言葉を発する家族がいます。
私の書いたどれかの本を読んで、在宅医療を依頼してきたからです。

「そうなんです。本当でしょう。週に1~2回平穏死です」
この言葉は本が売れてから、150回くらいは言いました。
「でも医療界ではまだほとんど信じてくれないんですよ」

「じゃあ、私たち家族が証人になってあげる」
これも何十回も言われました。
まさに書籍のタイトルにある「選んだ家族だけが知っている」の世界。

穏やか過ぎる、朝の旅立ち。

「こんなに楽に逝けるなんて知りませんでした。
膵臓がんは一番苦しむよ」と、病院でさんざん脅かされたようです。
「何かあったらいつでも病院に戻ってきていいからね」と好意の言葉。

穏やかな朝の後、診断書を書いたあと、その患者さんに感謝します。
車の中でも想い、帰宅してから寝床の中で静かに祈りを捧げます。
何もしていないので、それくらいしかすることがないというのもあります。

すべては、訪問看護師がやってくれています。
毎日、訪問して患者さんの笑顔が消えないように見守ってくれる。
看護師たちの日々の努力の先に、このような穏やかな朝があります。

毎週、1~2人の割合。
みんな平穏死。
平穏死しかない。

しかし、多くの病院も家族も平穏死を知らないので、死が近いと感じたら、
怖くなってどこか見えないところに隠す家族や医療者がまだまだ多い。
こんな難しい問題を、本に書いているんだなあと思います。

PS)
興味のある方は「病院でも家でも満足して大往生する101のコツ」(朝日新聞出版)を
ご覧ください。

先日、新宿の朝日カルチャーでの講演テーマはまさにこの本のタイトル
そのものでしたので、自分なりに一生懸命、講演をいたしました。

終了後、一人の聴講者が話しかけてきました。
「私は小学校の教師だけど、死の教育を学校教育でもやろと思う」と。

早速、小学生に「生と死の授業」をされたそうです。
そんな便りが届きました。

高校生は聞いたことがありますが(私はやっています)、
小学校での死の教育を聞いたのは初めてでした。