《1608》 深夜におちんちんと格闘 [未分類]

特養には、ショートステイを受け入れる義務があるそうです。
私は特養の嘱託医をしたことがないので詳しくは知りませんが。

ある夜、東京での講演を終えて最終電車で家に帰ってきました。
午前0時を回っての帰宅は、この何年か、もう普通になりました。
コンビニ弁当を食べパソコンを開き、アピタルのコラムを書き始めた午前1時半。

脱ぎ捨てたズボンのポケットの中の携帯電話が鳴っているのに気がついた。
着信番号は、知らない番号。
しかし慌てて取って、深夜にも関わらず、やけに元気な声で応答しました。

ある特養の当直の介護士さんからでした。
「ちょと待ってください。看護師と代わりますから」とのこと。
看護師さんが電話口に代わりました。

「ショートステイで預かっている○○さんのバルーンから尿が出ないんです。
実は朝から出なかったそうですが、ヘルパーが気がついたのが深夜になってからなのですが、
ちょっと心配なので電話しました」とのこと。

「患者さんは何か訴えがあるのですか?」

「いや、何も言われていませんが、起きています。
私がお腹を触ると、膀胱が張っているようです」

「じゃあ、朝まで様子見てください。
朝一番で訪問看護師をよこして、バルーンを交換しますから」

「ええ、でも……、
膀胱がおへそのあたりまでパンパンなのですが……」

「大丈夫、数時間くらいで破裂なんてしないから」

「ええ、でも。朝、少し血尿が出てから止まっているのですが……」

「じゃあどうして、もっと早く言ってくれないの。こんな深夜になってから」

「本当にすみません。
私どもの不注意で、気がつくのがさっきになってしまって……」

「あなたは看護師? なぜそこに居るの? 特養の夜は看護師はいないのに」

「私もバイト看護師で、今、介護士に呼ばれてここに来たばかりなんです」

「じゃあ、バルーンを調べてくれる? なんなら入れ替えてくれないかな?」

「いや私はただの看護師ですから、ショート中の患者さんに医療行為は
禁じられています。看護師ですが医療行為はしてはいけないのです」

「じゃあ、あなたは何のためにそこにおられるの?」

「……」

「今から、僕に来いっていうわけ?」

「そうなんです……。新しいバルーンセットはここにありますから」

さっき脱いだばかりのスーツのズボンを再びはいて、車に乗り込みました。
それにしても、お酒を飲む直前で良かった。
20分程でその特養に着くと、介護士と看護師が1階で待っていました。

裏口から、その特養に入りました。
無言でエレベーターに乗り、ショート中の患者さんの部屋に上がる。
入所者はたいてい4人部屋ですが、ショート利用者はいつも個室です。

たしかに、膀胱はおへその高さまでキンキンに張っていました。
患者さんの声は小さくて、顔は青ざめていました。
さっそく手袋をして、おちんちんの先を消毒しました。

尿道口から膿が出てきました。
膿を拭いていると、おちんちんが包茎のようでどんどん奥まっていく。
患者さんに聞くと、やはり包茎だそう。

バルーンを引いても逆流は無く、血液で管の中が詰まっていると判断。
管を抜くしかないと判断して、バルーン水を抜き管を抜きました。
抜いたら、新品を入れ直すしかありません。

呼び出された看護師は、膀胱バルーンの挿入の介助はしてくれました。
心なしか介助することはイヤではなく、むしろ楽しそうに感じました。
しかし肝心の管が、なかなか膀胱内に入りません。

若い人なら誰でもスーッと入ります。
しかし高齢者は、10人に1人位、入りにくい人がいます。
大昔、当直の夜や手術室で何度も何度も、管を挿入していました。

おそらく1000人を超える処置の中で、どうしても自分の技術では
膀胱に管を挿入できない患者さんが2~3人いました。
膀胱に入る手前の前立腺が張り出してそこが通過できなかったのです。

その時は病院だったので泌尿器科の先生に頼み、
金属の支柱のような棒で支えて、管を膀胱に入れてもらいました。
果たして、この患者さんも、とっても入りにくい人でした。

そういえば、訪問看護師の記録にいつも挿入に時間が相当かかったと
記載されていることを、今になって思い出しました。
あまり暴力的に前立腺部を突破しようとすれば、どこか損傷するかも。

かといって、ちまちましていては永遠に膀胱内に到達できません。
10分くらい入れたり出したりしていたら少し出血してきました。
患者さんは、苦悶の表情で必死に耐えてくれています。

こんな深夜に、おちんちんを握りしめて管と格闘している自分が
なんだか滑稽に思えてきました。
看護師さんは横で祈るようにずっと見てくれていました。

果たして、管の中から尿が勢いよく出てきました。
前立腺という難所を上手く越えられたようです。
あっという間に1000mlを越える尿が出てきました。

看護師さんは、小さく歓喜の声をあげました。
「よかったね。膀胱しぼんだね。これで寝れるね」と。
確かに、患者さんはスポーツドリンクを、一気に飲み干しました。

その夜、私は偶然にも「排泄の尊厳」について講演したばかりでした。
その数時間後に、本当に「排泄の尊厳」に対峙することになりました。
ちなみに、特養のショートステイには、訪問看護師さんは入れません。

入れるのは、在宅主治医の「往診」だけ。
訪問診療も禁じられています。
難しい規則に縛られて、現場は苦労を強いられます。

帰りの車の中のラジオは、もう朝の番組でした。
家に着いたら、空がなんとなく白くなっていました。
そしてうとうとし始めたら、また電話が鳴りました。

今度は末期がんの方の息が止まりそうとの電話でした。
声はなんとか出ますが、体が言うことを聞きません。
なんとか体を引きずり再び車の運転席に座りました。

患者さんの家に着くまでにこちらの方が先に死ぬかも。
こんな仕事、いつまで続けられるのかな。
いろんな想いが駆け巡るうちに目的地に着きました。