《1628》 1時間しか寝ない人 [未分類]

今年7月12、13日、神戸ポートピアホテルで日本ホスピス
在宅ケア研究会の全国大会が盛大に開催されました。
黒田裕子さんは、実行委員長を務められました。

早朝からボランティアを集めて様々な指示を出されていました。
黒田さんは、いろんな学会に行くと必ずそこに居て、大きな声
をあげながら、会場誘導などに走りまわっておられました。

休んでいる姿を見た記憶がありません。
常に動きまわり、ひとのために何かをする。
そして気仙沼の仮設住宅とのかけもちでした。

全国の学校で災害看護の授業も担当していたようです。
学会活動や一般の講演もされていました。
患者会や障害者支援の中心的役割も果たしていました。

私とは時々、会ったり電話する仲でした。
正直、歳は私より上なのでしょうが、まったく気にせず
タメ口で会話していました。

「私も今、長尾先生に電話しようと思っていたのよ」で
始まり、気がついたらいくつかの仕事を頼まれていました。
優しいようで厳しいお姉さん、といった感じでしょうか。

「黒田さん、いつ寝てるの?」
「少し寝れば充分よ」と言って、どうも座って寝ているようでした。
被災地に入っても、「私はどんなところでも寝られる」と言っていました。

まあ、実際、ほとんど寝ていないのですが。
おそらく1~2時間しか寝ない生活が、ずっと続いていたようです。
超人的というか、想像もできない仕事ぶりにいつも圧倒されました。

同時に「黒田さんを動かす原動力は何なんだろう?」といつも
思っていました。
よほどの想いがないと、あれだけ献身的に動き回ることはできません。

きっと喜んでくれる人の笑顔や言葉が彼女の原動力だったのでしょう。
病院を飛び出して、体ひとつで世界中の被災地に飛び込んで行く姿は、
まさに看護師の鏡であると思っていました。

私たちと居酒屋に入ると、いつも「ホッケ」を注文していました。
変な言い方ですが、あまり沢山食べていないような生活ぶりでした。
ある日聞くと「魚のなかでホッケが一番安くて美味しい」とのこと。

家はあるのか、無いのか。
聞くと、「ただの荷物置き場」だと笑っておられました。
このようにかなり世間からかけ離れた生活を送っておられました。

私もかなり変わっていますが、黒田さんはその100倍以上変わった
生活を送っておられました。
「いつ野垂れ死んでもいい」というようなことをいつも言われてました。

しかしまさか、こんなことになるとは思いもしませんでした。

(続く)

PS)

今日は、和歌山で講演の予定。
夜は、高野山の宿坊で慰労会をしてくれるそうです。