《1629》 黒田裕子という生き方、逝き方、そして「死後生」 [未分類]

黒田さんは大の病院嫌いでした。
病院の婦長さんだったのに、病院嫌い。
そこは私も似ています。

だから気がついた時には、余命1カ月の末期がんだったわけです。
「死ぬことは惜しくないけど、やり残したことがあるのが悔しい」
との言葉を残してあの世に旅立たれました。

病院の専門医は、「あと1年早く来てくれたら助かったのに」と
悔しがったと聞きました。
もしかしたらそうだったのかもしれませんが、神のみぞ知るです。

タラ、レバを言っても、亡くなった人は戻ってきません。
私は、1年前に病院に行っていても結果は変わらなかったと思います。
5年前だったら、運命は変えられたかもしれません。

もし1年前に病院に行っていたら、日ホスの実行委員長はありませんでした。
そして5年前だったら、気仙沼に入ることは無かったでしょう。
はたして、それが黒田さんの望んだ生き方だったのか?

今回の訃報を知った人は、みなさん同じことを言われます。
「黒田さんらしい逝き方やなあ」と。
私もそう思います。

作家の柳田邦夫さんが、毎日新聞のコラムで黒田さんの追悼文を書かれています。
その中で柳田さんは「死後生」という言葉を使われています。
黒田さんは、死後の世界を生きているようにしか思えません。

そう、黒田さんは、みなさんの心の中でまだ生きているのです。
金子哲雄さんの「死後のプロデュース」も似た意味だと理解しています。
そう考えると少しは落ち着いて彼女のことを考えられるかもしれません。

気がついたら末期がんで、わずか1カ月で死ねたら理想的。
これは2日の広島の講演で聞かれた、会場からの声でした。
多くの人は、そんな最期を望んでいるのでしょう。

黒田さんは、準ピンピンコロリであの世に逝かれました。
早すぎて気持ちが整理できませんが、あっという間に逝ってしまわれました。
残された私たちは、黒田語録を噛みしめて、前進したいと思います。

(終)

PS)

今日は、奈良に上野千鶴子さんをお迎えしての講演会の主催者です。
1200人の会場のチケットが早々に売り切れになってしまい、
100人ほどお断りしたくらいの、人気講演会になりました。