《1649》 肺がんを早期発見できなかったというクレーム [未分類]

先日、尼崎の下町を往診のため歩いていたら、
ある家の前で、70歳代後半のご夫婦に突然、呼び止められました。
最近、旦那さんの肺がんを発見し、がん診療連携拠点病院に紹介したばかり。

病院のCTでも病変がはっきりぜず、PET検査で肺がんが確定したと。
しかし手術不能と判断され、放射線治療と抗がん剤治療を受けているそう。
つまり、ステージⅢ~Ⅳの肺がんと闘っている、とのお話を聞きました。

後期高齢者のその方は、10年以上当院に高血圧で通院中でした。
一昨年、胃の調子が悪くて胃カメラを飲んだら良性のポリープでした。
昨年は大腸がん検診で陽性で大腸ファイバーでポリープを取りました。

そして先日、痰がよく出るとの訴えがあり胸部のレントゲンを撮ったら
怪しい影がありました。
そこでがんの拠点病院に紹介して、色々検査してがんと判明したわけです。

「先生、うちのお父ちゃんの肺がん、どうしてよう見つけんかったん?!」
 もうステージⅣに近いⅢなんて、末期がんのようなものやんか。
 なんで、10年以上もお宅にかかっていて、よう見つけんかったん?」

「・・・・」

「こうやって、放射線や抗がん剤をやる苦しみを先生は分ってんの?
 可哀そうやないの」

「申し訳ございません。ただ自覚症状が何も無かったもので特に検査を
しなかったわけでして。それに保険診療の規則では、症状が無いのに
検査をしてはいけないことになっていますから」

「なにゆうてんの!症状が無くても定期的に検査をやって、がんを
 早期発見するのが医者の仕事とちゃうの?」

「自覚症状が無い人には、がん検診や人間ドックを勧めています。
 あちこちにポスターも貼っています。
 昨年は症状があったので、胃カメラや大腸ファイバーを行いましたね」

「そんなポスター、見たことないわ。
あんたは、医者のくせに胃や大腸だけ診とったらいいと思ってんの?」

「いや、そうじゃなく、症状が無くてもがん検診を受けましょうと。
 本や新聞にも、いつもそう書いています。
 特に旦那さんのような喫煙者は、がんになり易いことは常識です」

「そんなもん、知らんがな。なんで見つかった時は手遅れなんや?」

「いやまだ手遅れと決まったわけでもないので今、治療しているわけで。
 そもそもその病院でも最初はがんかどうか分らなかったわけやし」

「こんなになるまで、自覚症状が出ないことがあるの?」

「がんの多くは、症状が出ません。
 旦那さんも、咳が出したのは最近です。
 症状が出た時にはもう助からないという場合も多くあります。
 だから、無症状の時に行うがん検診が勧められているのですよ」

「旦那は、咳をしたからレントゲンを撮ったけど、もっと早く撮って
 早期に発見してくれていたら、命が助かったのに……(泣かれる)
 なんで、うちの夫に限ってこんながんになってしまったのか……」

「日本人の2人に1人が一生のうちにがんになるのです。
 そしてがんの中で一番多いのが、肺がんなのです。
 旦那さんは、一番ありふれた病気になられたわけでして」

「本を読んだら、がんは5年も10年も前からあるそうやないか。
 だったら5年前にでもレントゲン1枚でも撮ってくれたら良かった」

「症状も無いのに検査をしたら、お役所からは怒られます。
 そして患者さんからは検査漬けや金もうけ主義って言われるし」

「とにかく、あんたが1枚でもレントゲンを撮ってくれていたら
 旦那はこんな手遅れにならなかったはずや。あんたは、ヤブや。
 胃や腸なんて、肺がんと関係の無い場所ばかり一生懸命診て……

「じゃあ、奥さん、今は自覚症状が無いでしょうけど、肺がんが有るか
無いかを知るために、これから胸のCTを撮りますか?」

「なんでこんな元気やのに、CTなんかせなあかんの?」

「じゃあ、普通のレントゲンにしとく?」

「なんにも症状も無いし、元気やからそんもん要らんわ!」

 

ほぼ平均寿命に近い喫煙者なら、がんになって当たり前なのです。
しかし2人に1人はがんになり、3人に1人はがんで死ぬのです。
みんな自分だけは例外だと思っていますがそれが間違いなのです。

早期がんは、ほぼ自覚症状がありません。
進行がんでも、自覚症状が無い場合はいくらでもある。
だから、がん検診があるのです。

無症状の人に保険診療でがん検診をすると、医者が罰せられます。
だから検診や人間ドックなど、自費の検査があるのです。
がんが心配な人は、それを受けるしか方法がありません。

肺がんは、もっともありふれたがんです。
単純レントゲンでは分らない程度のステージⅣの肺がんもあります。
あと抗がん剤や放射線がよく効くこともあるので諦めてはいけない。

 

「それに……」

「それに、って何よ?」

「高齢者には、がん放置療法っていう選択肢もあります。
 自然に任せたほうがいいという本がよく売れていますよ」

「長尾先生、あんたアホとちゃうか?
 がんを放っておいて、それで治るて?
 あんた、ホンマに医者かいな?」

「いや、そんな選択肢もあるから、抗がん剤や放射線治療が
 そんなに辛ければ、止めればいいだけだし……」

「なに言うてんの?治療を止めたら死んでしまうやんか!」

「いや、そうとは限らない。
 まあどっちにせよ、そのうち死ぬんやから」

手元にたまたま「がん放置療法」の本があったので、奥さんに
渡そうかと思いましたが、ふと手が止まってしまいました。
奥さんの逆上をさらに炎上させる危険があると判断しました。

今でも迷っています。
本音では、がんを放置することを勧めたい。
なにせ後期高齢者のステージⅣの肺がんなのですから。

思い込みを変えることはたいへん難しいと実感した午後でした。