《1678》 認知症になっても住み続けられる町・鹿屋 [未分類]

昨日は、鹿児島県鹿屋市で認知症の講演をさせて頂きました。
初めて訪れた町で驚いたことが沢山ありました。
鹿屋市は認知症の住民啓発にとても力を入れています。

控室で介護者がピック病やレビー小体病の話をしていました。
本番で市民に「最期はがんか認知症か?」という二者択一の質問をしたところ、
半数以上の観客が認知症を選ばれました。

これまで何百回もこの質問をしてきましたが、
認知症ががんを上回ったのは、何を隠そう、鹿屋がはじめてです。
それもそのはず、ここは「徘徊模擬訓練」までやっているのです。

私の講演のあとは、「たけちゃん一座」という
認知症のおばあちゃんを描いた寸劇が演じられました。
役者さんは介護施設の管理者ばかりで、すべてボランテイアとのこと。

白熱の演技、そして最後の感動的な歌に私も魅了されました。
要は、介護施設管理者や行政が本気なのです。
こうした地域は認知症になってもずっとその地域に住み続けられる。

「認知症になっても住み続けられる町・鹿屋」と何度も連呼していました。
素晴らしい実践を前に、もう私の講演など必要ないと思いました。

講演後、鹿屋航空自衛隊の入口にある史料館を見学しました。
鹿屋には航空基地があり、900余人の若者が特攻隊として
命を捧げられたことを恥ずかしながら、初めて知りました。

薩摩半島にある知覧から300人、
大隅半島にある鹿屋からは900人の特攻隊員が、南の空に飛び立たれました。
900人の遺影や遺言を前に涙が止まりませんでした。

この鹿屋自衛隊基地からは、現在も周辺海域の領海侵犯を
しっかり監視してくれているとのことです。
私の親父もかつて自衛隊員であったこともあり感無量でした。

鹿児島県には何度も何度も呼んで頂き、来ています。
尊厳死やリビングウィルの啓発活動が盛んな県でもあります。
日本尊厳死協会の前理事長の井形昭弘先生の出身地だからです。

実は、前夜熊本から鹿児島市内に入り、
いろんな医療・介護関係者とお会いて、いろんな話をしていました。
その中で井形先生の話も沢山しました。

鹿児島空港から飛行に乗ると、なんとその井形先生が真後ろに
座っていたので驚きました。
井形先生も昨夜私の話をしていたと聞かされ、二度ビックリ。

毎日、いろんなことがあります。
朝起きて、「おお! 生きている」、みたいな感じです。
生かされていることにただただ感謝するだけです。

PS)
昨夜は、名古屋で在宅療養支援診療所連絡会の理事会でした。
今日11月23日は、10年前から「在宅医療の日」なのです。