《1693》 黒田裕子さんを偲ぶ会 [未分類]

昨夜は9月24日に旅立たれた黒田裕子さんを偲ぶ会でした。
日本ホスピス・在宅ケア研究会の仲間が、神戸に集まりました。
寒い中、50余人が集まり黒田さんの想い出話をしました。

知っているようで知らない話ばかり。
50人もの証言(?)を集めると、新しい黒田さんを
発見しました。そのうちの一つだけ紹介します。

20年前、黒田さんは病院の副看護師長だったそうです。
阪神大震災の日以来、病院に来なくなったそうです。
そのまま辞められたのです。

その病院は、被災地の真ん中ではありませんが、
町の体育館には避難者が集まっていたそうです。
黒田さんは避難者たちの支援を始めたそうです。

震災の後に病院を辞めたのではありません。
黒田さんは、震災と同時に病院から外に飛び出したのです。
ちなみに私が飛び出したのは、震災の3カ月後でした。

震災のあと、少しの間姿を見なかった職員は避難していたのです。
当時は、「疎開」と言っていました。
私が勤務していた病院でも、そのような職員がいました。

黒田さんは当時、こう言ったそうです。
「看護師長の役割は私じゃなくてもできる。
でも、避難者を助けることは私にしかできない」と。

黒田さんの行動は、常に困っている人のためにありました。
自分のための時間というものは、ほとんど無かったと思います。
考えてみれば、そんな人は世の中に何人もいないでしょう。

黒田さんは行動する女性だと、改めて思いました。
気がついたら病院を辞めて、仮設住宅にいました。
そこには損得も、後先も、何もありませんでした。

民間人でありながら、「公人」として生き抜かれた。
精神が燃え尽きる前に、肉体が燃え尽きてしまった。
そしてあっけないほど、見事な最期でした。

2次会で話をしていると、すぐ横に黒田さんがいるような気がしてならない。
黒田さんが居なくなったことが信じられないのは、みんな同じでした。
私もまだ信じられません。

楽しい(?)偲ぶ会でした。
「何度もやろう」、と別れました。
黒田さんには、本当に沢山のことを教えていただきました。

ありがとうございました、黒田さん。