《1718》 朝日新聞の再起を願う [未分類]

昨年は朝日新聞にとって、大きな節目だったと思います。

誤報などをめぐる一連の問題とその謝罪のあり方に関して、現在も大きな
後遺症が残っていて、決して解決した訳ではありません。

私自身もアピタルに連載している身ですから、いろんな人から
いろんな嫌みを言われたり、非難を受けたりしました。
いろいろ迷いましたが自己責任でこうして書き続けてきました。

たしかに細かな検証も大切ですが、実は新聞社の体質自体が
問題の本質ではないかと常々感じています。
いろんな記事を読んでいますが時々、気になることがあります。

ひとことで言うと「上から目線」の記事が気になります。
私自身も朝日新聞本紙にかなりたたかれましたし、取材を
受ける中でも、本当に悔しい思いを何度か経験しました。

一生懸命に記事を書いても「いいかげんにしろ!」と
上から目線で理解不能な罵声を浴びたこともありました。
池上彰さんではないですが、掲載拒否のようなこともありました。

振り返れば、いくつも浮かんできます。
ああ、思い出すとだんだん腹が立ってきた・・・
正直、謝罪報道の後もあまり変わっていないような気がします。

それは個々の事情というよりも、会社の体質のような気がします。
だからこう言われても、あまり気がつかないのではと想像します。
ようは人ごとのように感じている社員さんが多いのではないか。

公平性や客観性や品格は大切だけど、とても難しいものです。
どのメディアも苦労していることを、私でも少しは知っています。
そんな中、朝日新聞だけが特に上から目線傾向が続いてきました。

医療や介護においては、「上から目線」は致命傷になります。
それでもし失敗をすれば、医療訴訟・介護訴訟につながります。
すべてにおいて、「相手の立場になる」ことが基本の時代です。

訪問する家々の多くには、今も朝日新聞が置いてあります。
何百軒も訪問するということは、世の人々がどんな新聞を
読んでいるのか、一発で分かるということです。

今年こそ、上から目線体質を改めて欲しい、と切に願います。
これは朝日新聞さんへのお願いですが、読者にも知って欲しい。
お屠蘇を飲みながら書いているのでついつい本音が出ました。

そして今なお多くの人が信頼して読んでいるメディアだからこそ
しっかり再起を果たして欲しい。
そうした「改革」こそが、伝統ある新聞社の責務であると思います。

多くの講演で必ず言うことは、今後の医療や介護のキーワードは
「まじくる」です。
「まじくる」とは、ごちゃまぜになる、交わって狂うの造語です。

これまでの医療は(現在も?)、かなり「上から目線」でした。
インフォームド・コンセントやエビデンスという横文字を使いながらも
実質は上から目線だった(現在も?)と思います。

しかし抑圧された患者さんの不満は、医療否定本がバカ売れする
という形になって、医療界にしっかりはね返ってきています。
医療界は反省・改革すべきだという文章を専門誌に何度か書きました。

科学の分野でも医療の分野でも、「捏造」が存在してきました。
捏造が生まれた体質を直すキーワードは「まじくる」ではないか。
そうした体質改善が求められる時代に思えてなりません。

朝日新聞の将来も、読者との交流にかかっているでしょう。
一方通行の時代ではなく、双方向性の時代です。
ネット媒体のほうが、双方向性には有利です。

アピタルの読者の反応はいつも気になっています。
私のさりげないつぶやきがたくさんのクリックを得て、驚くことも。
時々、そうした御褒美があるので、書き続けることができます。

今日は、朝日新聞への嫌ごとをあえて書かせて頂きました。
お世話になっている新聞社への私なりの応援歌のつもりです。
どうか正月に免じてお許しください。

2000回を目指して書かせて頂く所存ですが、あくまで
編集部の都合ですから、どうなるのかは私は知りません。
日々つたない文章ですが、誰かのお役に立つことができれば幸いです。

PS)
大晦日も元旦も、在宅患者さんのインフルエンザで大忙しです。
訪問看護師は、大晦日の夜も元旦の朝も走り回っています。
私も走っていますが、道がすいているので助かります。