《1768》 介護報酬減額報道の本質 [未分類]

今週は、春から介護報酬が減額されるという報道一色でした。
介護職不足が叫ばれる中、介護崩壊が起きるという趣旨の報道
をたくさん見ましたが、私はどこか違和感を持ちました。

たしかに介護現場は深刻な人出不足です。
無資格者が夜勤をしています。
居酒屋のアルバイトと掛け持ちの介護職もいます。

私の目には「介護崩壊が起きる」のではなく
「ずっと介護がオカシイ」と映ってきました。
元を辿れば、それは2000年からです。

介護保険制度ができた時から「おかしい」と思っていたものが
年々おかしくなってきて、そして今回の改正に帰着しました。
だから、減額報道を上手にコメントする言葉が見つかりません。

介護が営利になってから、本当におかしなことばかりです。
営利企業を潤すためだけに末端職員は使われ、疲弊しています。
腰痛、肥満、メンタル不調など、様々な職業病もよく見かけます。

世の中、患者さん主体の介護を謳っている事業所ばかりですが、
実際にそれを実行している事業所は、本当に少ないと感じます。
現実はその逆で、営利企業のための介護に感じて仕方がありません。

いったい誰のための介護なのか?

そう感じることが、毎日です。
そんな中での、介護報酬減額報道。
ちょっと違うんじゃないか、と正直思います。

問題の本質は、介護の本質を見失っていることではないのか。
本質とは金儲けではなく、人に喜んでもらえるという喜びや
人間の尊厳を支えているという使命感なのでしょうか。

介護から快互へ。

これは「家族よ、ボケと闘うな!」の中にある一節です。
「介護」のプロが、その楽しさの虜になれば、自然に「快互」に変わります。
お金の問題は大切ですが、ただそれだけではないと言いたいのです。

つまり、制度や熱意の問題であると。
仕組みがそうなっているのだから、当たり前のことが起こっているだけ。
だから報酬を減額したり手当を増やしても、付け焼き刃でしかない。

ぜひ、問題の本質を広く報道してほしいと願います。
そのためには、営利企業の施設の現場をよくよく見てほしい。
いい話を鵜呑みにするだけではなく、とにかく現実を見てほしいです。