《1784》 その日を前に、静かに祈る [未分類]

今日は、全国的に寒い1日になると天気予報は言う。
関西でも雪が舞うかもと聞いて、セーターを出した。

この日が来るのが少し怖かったことを、正直に告白しておこう。
あの日から4年目の東北に、何も出来ていない自分がいるから。

先週からテレビや新聞は、被災地の報道で溢れている。
4年経過したが、復興はあまり進まないというニュース。

現在、被災地の方の4割がPTSDの可能性があるという。
実は、今がいちばん心が落ち込む時期。

うつ、アルコール依存、引きこもり、孤独死……
阪神で経験したことが、東北でもやはり繰り返されている。

仮設住宅の諸問題や復興住宅の遅れ。
そしてなんといっても仕事やお金の問題。

阪神の経験が、何一つ役立っていないのが悔しい……

あの年の4、5、6、7月は必死だった。

4月末から5月のGWにかけて、被災3県をクリニックの
スタッフと彷徨いながらいろんな人と知り合いになった。

その情報を持ち帰り、尼崎、西宮、神戸で復興イベントを開催した。
震災孤児への募金が順調に集まり、少し役に立ったような気がした。

震災から4カ月後の7月11日に必死で書いて世に出した、拙書
「共震ドクター 阪神そして東北」に書いた提言は、無駄だった。

2012年の元旦は、故・黒田裕子さん達と気仙沼で迎えた。
面瀬中学の仮設だけでなく周辺の住宅を回ったら、皆が抱きついてきた。

夏には、相馬野馬追を相馬で観て、泣きながら飲んだ。
相馬市長・立谷秀清氏の話にまた涙した。

家を流され、尼崎の当クリニックの隣に長く避難していたいわき市の人々を
訪ね、ドライブに連れ出したらとても喜んでいただき、本当に嬉しかった。

2013年夏は、南相馬での野馬追を観ることができた。
私が企画した映画「無常素描」が、世界各地で公開された。

2014年春には、石巻市に呼ばれて講演させていただいた。
駅前のスナック「くるくる」で、仮設から通うホステスさんと語った。

2014年秋、同志であった黒田裕子さんが、たった1カ月の闘病で旅立った。
災害看護師としての壮絶な生きざまをテレビで見直して、ため息が出た。

今週、石巻から当クリニックに来てくれた女性と、遅くまで語った。
仮設住宅はまだまだ大変と聞き、返す言葉が見つからなかった……

心の復興にも、まだまだ時間が必要だ。
でも、泣きながらであっても、諦めないでほしい。

阪神の経験から、5年目の壁をなんとか乗り越えてほしい。
4年目あたりがいちばんつらい。

阪神の我々は、東北を忘れない。
年に最低1回、いや2回は、被災地に遊びに行く。

美味しい海の幸、畑の幸を存分に味わわせていただく。
新しい農業など、希望の光もたくさんあると知った。

4年目のその日を前に、静かに祈りたい。

東北にぬくもりの炎が絶えないことを。