《1787》 2000人を看取った町医者が東大生に伝えたいこと [未分類]

長尾和宏の死の授業 in 東京大学・1》

先日、東京大学で「長尾和宏の死の死の授業」という講義をしたと書きました。
すると「どんな内容だったのか?」とのお問い合わせを沢山頂きました。
幸いテープを取っていましたので、このアピタルで再現させていただくことにしました。

2000人を看取った町医者が、東大生に伝えたいこと

皆さん、はじめまして。長尾和宏と申します。今日は北村聖先生(東京大学大学院医学系研究科 医学教育国際研究センター主任)にご縁を頂いて、こうした機会を得たことを光栄に思っています。私は今、56歳。ここにいる皆さんの、ちょうどお父さんくらいの年齢ですね。

そして、私は今まで、病院と在宅合わせて、約2000人ほどの看取りを経験しました。最初にお看取りをしたのは、医者になった年ですから、今からちょうど30年ほど前のことになります。30年間で2000人のお看取りです。

そのうち、在宅で看取ったのは、800人くらいでしょうか。現在、私は300人ほどの在宅患者を診ています。
一昨日は、1日で三人の患者さんを在宅で看取りました。どの方も管が1本もない、実に穏やかな最期でした。
さすがに最近、私も歳なので1日に三人は肉体的にしんどいです。しかし、患者さんを看取るときの気持ちというのは、医者になりたての頃と、あまり変わっていないような気もします。

そうした経験から、現在は町医者の傍ら、日本尊厳死協会の副理事を拝命しています。また、ここ数年は、「平穏死」という言葉を用いて、穏やかな最期のあり方についての本を何冊か書きました。この30年間で、医療は大きく進化しました。私が皆さんと同じ年の頃、医学生だった頃とは、大きく違ってきています。技術も薬も日進月歩で、30年前では助からなかった病気が、医療の恩恵で助かるようになっています。30年前には治らないと言われていたものが、医療の力で、治るようになってきました。

今こそ、プライマリケアが求められる時代

だからこそ、「どこまでやるのか?」「いつまでやるのか?」そして、「人生の最期の場所は、病院か?自宅か?施設か?」といった苦悩が、終末期の患者さんと家族に突きつけられるようになってきたのです。

また、そうした医療の進化と並行し、「プライマリケア」が重視されるようになりました。そもそも私は、「プライマリケア」がやりたくて、この世界に入ったようなものでした。プライマリケアには、「ゆりかごから墓場まで診る」という概念があると思います。私はそこに共鳴しました。生活の場で医療に従事したかったのです。

それで大学一年の時より、無医村地区で実習をしたり、今で言う「プライマリケア研究会」みたいな活動を行っていました。皆さん、日野原重明先生って知っていますか? 聖路加国際病院の名誉理事長さんの、あの方です。103歳にして未だ現役で活躍しておられるお医者さんです。実は、日本で「プライマリケア」を最初に言い始めたのは、日野原先生です。僕は大学生の時に、日野原先生に直談判に行き、「プライマリケア」の勉強会をお願いしたこともあります。だから僕にとって、「プライマリケア」のいちばん最初の先生は、日野原先生なのです。

今日、私が行う「死の授業」は、プライマリケアについての学びとも言えると思います。

(続く)

(参考文献) 「長尾和宏の死の授業」(ブックマン社)