《1803》 <がん放置療法>なら苦しまずに死ねるのか? [未分類]

長尾和宏の死の授業 in 東京大学・17》

愛する家族が「無治療」を選んだ時、あなたならどうしますか?

 
長尾  先の私が解説で出演をしたバラエティ番組、『中居正広の「終活」って何なの? ~僕はこして死にたい~』は、死と向き合う、または家族の死に直面したさまざまな人が登場しました。

その中で、私の周囲において一番反響が大きかったのは、吉野実香さんという女性の密着映像でした。吉野さんは、京都にお住まいの50代の主婦。お子さんもいます。彼女は、乳がんの末期で5年前に、余命2年と宣告されたそうです。しかし今もご健在で、テレビに映った姿は50代とは思えないほど若々しく、言われなければがん患者さんとはわからないほどでした。

放送の1カ月前にあった番組の打ち合わせのとき、ディレクターさんはこんなふうに言いました。

「吉野実香さんという、末期がんだけれど無治療を選択した女性に密着していますので、長尾先生、何かコメントをお願いします」


―――本当に何も治療を受けていないの?


「いえ、緩和ケアを受けるために、定期的に病院には通っています。痛み止めの薬ももらっています」


―――それはね、無治療とはいいません。立派に治療を受けています。


「いや、でもそれは、がん治療という意味ではないので……」


―――何を言ってるの? 緩和ケアだって立派ながん治療です。それを無治療だとテレビで紹介するのはどうかと思うけどね。


……???(無言)


このディレクターさんは「手術療法、抗がん剤(化学療法)、放射線療法という『がんの三大療法』を受けていない= 『無治療』」
と捉えていたようです。

はたして番組収録の当日、吉野さんのVTRになったとき、こんなナレーションがつけられていました。

余命わずかと宣告されたある女性を紹介する。

彼女は、元気に死にたいと、緩和ケアでの痛み止めなどはするが延命治療はしないという選択をする。そんな彼女を見守る家族は彼女の意見を受け入れられるのか。

もし自分の家族が余命わずかで延命治療は望まないという選択をしたら、どうするか? 死ぬまでに必ず決めるべきこととは何か?

―――「夫にも息子にも相談せず、自分で勝手に決めたことです」


長尾
   彼女の選択に関し、スタジオ出演されていた北斗晶さんは、このようなことをコメントしていました。

「もしも自分が吉野さんだったら、同じような選択をすると思う。しかし、自分の夫や子どもが吉野さんのような選択をしたら、私は耐えられないから、反対する」

私は、このコメントこそが、日本人の代表的な考え方だと思います。

「死」は誰のものなのか? 本人でなく、家族のものである、という考え方がここに象徴されていました。


<がん放置療法>なら苦しまずに死ねるのか?


長尾
  実は、吉野さんのようなケースはそれほど珍しいものではありません。末期がんと診断されたなら、「緩和ケア」以外は何も受けないという選択肢はアリです。私の患者さんにも、何人かそういう人がいらっしゃいます。

まるでこれは、近藤誠氏の提唱する<がん放置療法>か? と思われる人もいるかもしれません。確かにそうです。近藤誠さんが言う、「がんもどき理論」は、何度読んでもまったく共感できません。逆に、あまりの極論に惑わされる患者さんを目の当たりにすると、なんと罪深きことかと怒りさえ覚えます。

しかし、緩和ケアだけをしっかり受け、何もしないほうが長生きするという、いわゆる<がん放置療法>については、「100%間違いである」とは言い切れないのです。

生徒Ⅰ  それは賛成ということですか?

長尾  限定的に、賛成です。つまりは、吉野さんのように末期がんと言われた場合、もしくはがんが見つかった時にはもうかなりのご高齢だった、という場合には正しい選択と言える、ということ。

がんは、がんができた場所、ステージ、患者さんの年齢などによって、まったく闘い方が異なってきます。それを一緒くたにして、<がん放置療法>を勧めるのは、甚だおかしい。

しかし、たとえば80代の人に前立腺がんが見つかったとします。前立腺がんの治療で大変な思いをして肉体的ダメージを受けるよりも、放置しておいたほうが、苦しまずに長生きする可能性がある。そういう場合は、「前立腺にがんが見つかりました。しかし、どうも急に暴れるわけではなさそうです。泌尿器科専門医と相談されますか?」と言います。

<がん放置療法>を選べば、まったく苦痛なく死ねるのかと言えば、そういうわけではありません。それはまったくの誤解です。積極的に治療を受けても、緩和ケアだけ受けても、痛いものは痛いのです。苦しいものは苦しいのです。先の吉野さんの番組VTRは、ハッキリとそれを証明していました。

吉野さんは、インタビューの最中に、にこやかな表情を突然崩され、激痛に襲われて顔を歪めていました。また、乳房から出血し、あてていたパットが真っ赤に染まる場面もありました。真夜中に大出血をして、旦那さんと息子さんが、血だらけの彼女の身体を拭いてあげる、というシーンも出てきました。

この映像を流したことには、大変意味があったと思います。

 <がん放置療法>なら痛まない、苦しまないなんて、真っ赤なウソです。

しかし彼女は、「後悔はしていない」とテレビで言っていました。だけど旦那さんや息子さんは、どうなのだろう? 実は、旦那さんや息子さんは、本人に先駆けて、<スピリチュアル・ペイン>を感じているのではないだろうか?

もしも機会があるのなら、吉野さんの夫と息子さんに、お話を聞いてみたいと思いながら、私はスタジオでVTRを見ていました。

(続く)

(参考文献) 「長尾和宏の死の授業」(ブックマン社)