《1847》 「長尾先生、私は死ぬのですか?」 [未分類]

がんになっても、がんで死ぬとは限りません。
早期発見で助かる人はいくらでもいます。

早期発見でなくても、助かる人もいくらでもいます。
大腸がんの場合、肝臓や肺や脳に転移していても完治することがある。

もちろん『がん医療+本人の免疫力(抵抗力)』です。
だからこそ、自分の気に入った病院で納得のいく治療を受けてほしい。

手術のあとに、放射線や抗がん剤治療を併用する場合が多いので
そこまで見越した上で、初回治療の病院を探してほしいと思います。

ポイント

  • がんの宣告は死の宣告ではない
  • 有名病院だから有名先生に当たるとは限らない
  • しかし初回治療の病院選びはとても大切
  • 長い付き合いになることを想定して選ぶべき
  • PET検査を過信してはいけない

「長尾先生、私は死ぬのですか?」

――それは、がんで死ぬかどうかということですか? そんなことはわかりません。誰もわかりませんよ。二人に一人ががんになり、三人に一人ががんで亡くなると言われています。つまり、六人に一人は、がんができても、がんでは亡くならない。助かる人だっていっぱいいます。

鈴木さん、がんと宣告された日に死を想うなんていう時代ではないですよ。黒澤映画のあの名作『生きる』をご覧になったことはありますか? あの作品の情景とはもはや違う時代を我々は生きています。

「そんな映画がありましたね。学生の頃に早稲田の名画座で観ましたよ。あの映画、たしか志村喬が演じていた主人公の病気も胃がんだった。胃がんと告知された瞬間に、市役所勤めに人生を捧げていた中年男が、生きる意味を見失ってしまい路頭に彷徨う話でしたよね。懐かしいなあ。

ふん、あの頃は自分とは無関係だと思っていたのに……ああ、まさに今の私の状況じゃないか!」

「あなた、何をそんな悠長なことを言っているんですか! 暢気すぎますよ。だいたいね、あなたがちゃんと会社の健康診断を毎年受けていれば、こんなことにならなかったかもしれないじゃない? それなのに、どうして、なんで今この場所で映画の話なんかできるの? ……私の気持ちを考えてください。どうして毎年、毎年の会社の健診をきちんと受けてくださらなかったの!」

――いや、すみません、映画の話を振ったのは私ですよ。あの作品には少なからず学生時代に影響を受けたものですから。

少し落ち着きましょう。ヨリ子さん、今ここで過去を遡(さかのぼ)って健診を怠ったとご主人を責めて何になりますか。あのとき何々をしていたら、などという「if」で始まる会話は不要だと思いますがね。そんな話をしたって誰も幸せにはならない。

もっと前を向きましょうよ。いかにこれから先をご夫妻で乗り越えるかを話し合わんと。

「動揺するなという方が無理やわ、こんなん。だって今年のお正月には夢にも思わなかったんですよ、悪夢やわ。そう、一昨年(おととし)のことです。銀婚式の記念にな、二人でPET検査付きの温泉旅行を計画していたんですよ。ほら、今よく宣伝しているでしょう? それなのにこの人、直前にどうしても気乗りしないって、キャンセルしいやって。

もしも、もしもあなたがあの時に、PET検査を受けていたら!」

 心の箍(たが)が外れたように、ヨリ子さんがわっと泣き出した。

―― 一昨年そのPET検査を受けていたら、事態が大きく変わっていたかと言われればそうでもないかもしれませんよ。すべてのがんを発見する夢の機械かどうか、私は懐疑的です。PETで何も見つからなかったから安心だと思って、逆に発見を遅らせてしまうことだってある。さあ、「if」はこれで終わりにしよ。話し合わなければならんことが、他にたくさんあります。

鈴木さんは急激に体重も落ちていらっしゃるし、食欲不振の状態も昨年からずっと続いるようだ。早期胃がんの場合は、ほぼ自覚症状はないものです。しかし食欲不振、吐き気などの自覚症状が出たときには、ある程度進行しているということだから早目にがんの専門病院へ行かれてください。

だけど少なくとも、来月や再来月にがんで死ぬということはありえません。がんという病気はそれほど一刻一秒を争うものではありませんから。いくつか病院をご紹介します。たとえば、N大学病院はどうやろか? お宅からは車で30分くらいかな。

「N大学病院ですか――あそこは、私の母が亡くなった病院です。母は肺がんでお世話になった。

あのときはしんどかったな。なんで母の最期を長尾先生が言われるように自宅で穏やかに看取れなかったのだろう。あの病院のことを思い出すたび、正直なところ後悔ばかりですね……母は全身に管をつけられて三週間過ごしたのちに苦しみ抜いて死んでいったという記憶しか残っておらんのです」

「そうね、あれからまだ二年も経っていないわね。だけどあなた、お母さんはもう歳だったでしょ、80歳を過ぎていたんだから、あなたのがんとは話が違うでしょ。たしかこの前調べた雑誌には、N大学病院にはがん治療の名医がいると書いていたわ。

ねえ先生、あそこの○○先生をご存じですか。あの先生、よく雑誌に出てはる有名な方ですよね。あの方に紹介状を書いてもらうわけにはいかないでしょうか」

――ああ、外科の○○先生なら私もよく知っていますよ、だけどあの方はもう手術を執刀してないんと違うかな。たしか私より一回りも年上だ。外科手術というのはもっと若い人間にやらせるものだからね。

年をとり、名は全国に知られる。しかしヨボヨボの外科医よりも、そのもとで育った手先も視力もまだしっかりしている30代や40代の医師が手術をしているのが医療の現場ですよ。

「ああそれなら尚のこと、N大学病院は――」

鈴木さんはやはり、母親の一件があったことで、N大学病院で自身のがん治療を受けられるのには抵抗があるようだ。

がん治療のための病院選びとは、ただ単に名の知れた外科医がいるとか、週刊誌に気まぐれに載っているような、手術成功率のランキングデータだけを鑑みて決めれば良しというものではない。

先述したが、結婚相手と同じように相性も大事である。もしも鈴木さんがネガティブイメージを持ったままその病院で手術・抗がん剤治療を受けたとしたら、どうだろう? がん治療というのは患者さんのストレスも回復の度合いに大きく影響するものだ。ネガティブイメージが過度の心因性ストレスとなり、回復の邪魔をすることはよくある。

また、全国的に名の通った医師がいるからといってその人が直接担当してくれるかどうかもわからない。病床数の多い病院であればあるほど、患者さんのご指名はなかなか通らない場合が多い。ミシュランで星を取った寿司屋に行っても、一見さんがその店の看板であるご主人の前には座れず、若い職人の握った寿司にしかありつけないのと同じだ。

―― それならたとえば、Aがんセンターはどうですか? 手術をするとなると、その後退院してからもしばらく抗がん剤治療が続きます。外来で通うことになると思いますが、ここなら、電車一本で快速なら20分とかからないですし。施設も最近新しく増築して充実していますが。

 しかしヨリ子さんのほうは、N大学病院がやはり気になるようでこう提案された。私のところに長年通っておられるような真面目な方だし、友人などからもたくさん情報を仕入れたのだろう。

 たいていの場合、ご夫妻のどちらが患者さんであっても、病院の情報というのは妻のほうが知識を豊富に蓄えているものだ。そして夫はどう口を挟んでいいのかわからない場合が多いのではないだろうか。

「たとえばN大学病院で手術だけやってもらって、その後、抗がん剤治療が必要だということになったら、それをAがんセンターでやってもらうというわけにはいかないのですか? 長尾先生からそういうふうに紹介状を書いてもらうわけには」

――それはやめておいたほうがいいね。鈴木さんの場合、手術の後にも必ずや抗がん剤治療が必要となるはずです。早期の胃がんならば、外科手術で取ったらそれで終わりということもあり得る。しかし進行胃がんの場合は、取って終わりということは普通はありません。

がん治療というのは、チーム医療なのです。外科と内科の連携で対応します。手術だけ別の病院で、というのは時間的なロスもあり、チーム医療という面から見てもデメリットが多い。


【「抗がん剤 10のやめどき」(ブックマン社)からの転載】

 アピタル編集部で一部手を加えています