《1860》 「抗がん剤ができなくなるまで、続けましょう」 [未分類]

大病院で外来抗がん剤治療を受けながら在宅医療を受けている人が
年々増加しています。

なかには、亡くなる直前まで抗がん剤治療を受けていた人もいました。
それで満足していた人も、ボロボロになって恨みながら亡くなられた人も。

分子標的薬などんの抗がん剤の進歩や、支持療法の充実という側面もあります。
そして主治医が「抗がん剤ができなくなるまで、続けましょう」と言う場合もある。

専門医にそう言われたら、多くの人は治療の中止を患者側から言い出しにくでしょう。
施設ホスピスなら抗がん剤継続はまず無理ですが、在宅ホスピスではそれが可能です。

状況が悪化するほどに、なんとかしたくなるのが専門医です。
やはり『死は敗北』であると考える医療者が大半なのでしょう。

それでいい人は、それでいいでしょう。
しかしそれはイヤだ、という人はやめどきを言い出したほうがいいでしょう。

「抗がん剤ができなくなるまで、続けましょう」と言われた時こそが、
抗がん剤のやめどき、なのかもしれません。

「抗がん剤ができなくなるまで、続けましょう」と言う専門医

 年が明けた。2012年である。元旦は伊丹空港発仙台空港行の飛行機で、宮城から福島と被災地に入り、各仮設住宅を巡り、レンタカーの中で三が日を過ごした。

 そして1月4日の今日から仕事始めだ。

 鈴木信夫さんは大みそかに退院されて、Aがんセンターと長尾クリニックの二股診療が再開された。様子が気になったので、新年の挨拶がてら、お宅にお邪魔する。小さな鏡餅が飾られた玄関まで出迎えてくれた信夫さんは、杖をついていた。歩行が少し困難になられているようだ。TS-1とシスプラチンのセカンドラインで1コースが終了していた。体重は現状維持。

――信夫さん、お帰りなさい。

 ご自宅にお邪魔しているのに、私が「おかえりなさい」という奇妙な構図。その奥から、ヨリ子さんの声。

「いやだ、先生。来てくれはったの!」

――ちょっと近くの在宅の患者さんを診たところやったから。信夫さんの、シスプラチンの副作用、どうやろかと思って。顏も見たかったし。今年も宜しくお願い致します。

「こちらこそ、今年も宜しくお願い致します。お正月からえらいすみませんね、でも、主人が料理の匂いを嫌がるものだから、今年はおせちも何も作っていないのよ、お雑煮しかないの」

――いやいや、ご馳走目当てで来たんじゃないから大丈夫やって。信夫さんの顔を拝みに来ただけです。シスプラチンつらかったやろ。よく頑張りました。副作用はどんな具合ですか。

「やっと我が家に帰って来られたという気がしています。2~3日で退院できると思っていたのですが今回はめまいがひどくてね。起き上がるのが辛く、結局3週間近くも入院しました。怠くて、怠くて」

――吐き気はありますか?

「懸念していたのですが、Aがんセンターが今回は、シスプラチンを入れる前に、吐き気止め注射をしてくれているので、今のところはたいして感じていません。

それにしても、この入院中に私は、シスプラチンやらその吐き気止めやら、腎臓への副作用を弱める食塩水やらで、もろもろ50時間以上もIVHポートから何かしらを入れていていたことになる。自分の身体に何を打たれているかさえ、わからなくなってしまう。フラフラです。病院で治療されているのか、殺されようとしているのか、もうわからへん」

――そりゃ、誰だってフラフラになる。シスプラチンの副作用でめまいを挙げられる方は多くおられる。この休薬期間の2週間で、できるだけ体力を回復しないとあかんね。

「はい。それにね、来週から、ちょっと会社に顏を出さないとあきません。だけどとにかく、怠い。いや、初回からこんなにキツイなんて。今までとはまったくレベルの違うキツさです。TS-1だけで良かったんちゃうかと」

 以前のような、仕事のお話をされるときの目の輝きがない。シスプラチンの副作用のつらさに叩きのめされ、気力を奪われている。そう感じた。

――腫瘍マーカーの数値は?

「まだ下がりはしていません。だけど、Aがんセンターの先生は、マーカーの数値があまり下がらなくても、抗がん剤ができなくなるまで、続けましょうと」

――たいていのがん専門医はそう仰るはずです。確かに、腫瘍マーカーの数値に一喜一憂してもええことないけどな。腫瘍マーカーの数値を、受験の模試の偏差値みたいに考えていちいちクヨクヨしていたら、そのほうが身体に悪いってもんですよ。

 腹立たしい思いになる。「腫瘍マーカーが下がらなくとも、抗がん剤ができなくなるまで続けましょう」と? そんなの、主治医が決めることではないだろう。患者さん本人が決めることだ。

 「下がらないけど、できなくなるまで続けましょう」ではなくて、「下がらないけど、どうしますか?」と訊いてこその医療だろう。抗がん剤ができなくなるまでとはつまり、できなくなるほど副作用が激しく現れるまで、という意味でもあるのだから。

「だけど、たとえがん細胞は増えてなくても、私がこんなに痩せこけてしまってはね……もう、鏡を見るのも嫌なんですよ。私はまだ還暦手前だというのに、これじゃあ、ヨボヨボの爺さんだ。先生、私はほんとうに治るんでしょうか。昨年の春に抗がん剤治療を始めて、年が変わり、これだけ抗がん剤治療をやっても、がんに打ち勝っているという実感がないのはどうしてでしょうか」

――でもこうして、新しい年を迎えられたんだから、ね。幸せなことだと思いませんか。

 不意にヨリ子さんがテレビのチャンネルを変えると、騒々しいバラエティ番組から一転、そこには、昨日まで私が歩き回っていた、東北の被災地の正月の様子が映し出されていた。信夫さんも私も黙り込む。一瞬、信夫さんご自身もそして私も、抗がん剤の副作用の苦しみをどう受け止めていいのか、わからなくなってしまったのだ。

 しかし――「抗がん剤ができなくなるまで、続けましょう」と主治医が言うのは、決してポジティブな台詞ではない。やめどきも含めて、一度検討してもいいタイミングだと考える。


【「抗がん剤 10のやめどき」(ブックマン社)からの転載】

 アピタル編集部で一部手を加えています