《1873》 日記もここで終わり [未分類]

鈴木信夫さんの頭には、もうホウカンさんしかありません。
家族との葛藤も下の世話も、全部、ホウカンさんのお世話。

医者は週に1~2度来て、言いたいことだけ言ってサッと帰る。
これは、私がよく患者さんや家族に言われる言葉です。

食欲が徐々に無くなり、3食という概念も無くなってきます。
食べたい時に、食べられるもの、食べたいものをちょっと食べるだけ。

尼崎ではこんな時、たいていたこ焼きを食べておらえます。
きっと地域によって、最期まで食べられるものは違うのでしょう。

数年前、辰巳芳子さんが作った「いのちのスープ」を飲んだことがあります。
本当に美味しかったので、患者さんに飲んでもらいたいと思いながらもそのままです。

鈴木さんは毎日、なんとも言えないダルさの中で過ごしています。
このダルさを少しでも和らげようと、ステロイドなどを使いました。

ボーと寝ている時間がだんだん多くなり、昼と夜を間違えたりします。
そんな鈴木さんの日記も、10月23日でついに終わっていました……

10月2日 「ホウカンさんに慰めれらた」

バカ息子の振る舞いを思い出して眠れない。ホウカンさんに愚痴る。「そんなの、長尾先生は慣れてるからへっちゃら」と笑っている。最近は、ホウカンさんが話し相手。夜中発熱。38.5度。アイスクリームを半分。

10月4日 「漢方薬を処方してもらう」

昨日高熱が出てから、ヨリ子が1時間おきに体温を測ろうとするが億劫で仕方ない。熱が心配で、長尾先生も駆けつけてくれる。「熱なんか測らんでいいよ。気にしなくていい」と言う。「いずれ下がります」と。そりゃそうだ。測ってどうるするのだという気持ちになる。

先生、腹をさすってくれた後、漢方を処方してくれた。補中益気湯という聞いたこともない薬。少しずつ熱が楽になる。「西洋医学も東洋医学もいいとこ取りするのが一番」と先生言った。「在宅医療は、少しずつ医療のええとこ取りができるのがいい」。

熱下がってから、ヨリ子が茶碗蒸しを作ってくれて食べる。旨かった。

10月5日 「結婚式に出る」

驚くことがあった。娘の結婚式が再来週にあるという。神戸の結婚式場を予約したそうだ。聞いてないと言ったら、だいぶ前に伝えているはずだと。

さあ忙しくなった。電話で長尾先生に相談。「もちろん行ったらええ。介護保険で、車椅子を借りればいい。意見書書くから」。夜来たホウカンさん、「お嬢さん結婚おめでとう」と小さな花束くれる。涙が出る。最近ちょくちょく涙が出る。

10月8日 「温泉にも行けるかな」

娘の結婚式のスケジュール決まった。神戸のホテルで挙式。前の晩1泊し、その翌日は有馬温泉。長尾先生に予定を相談。お腹を触りながら、「大丈夫。楽しんで来ればいい」。これが病院なら、家に帰るだけで精いっぱいだった。まさか、来週有馬温泉にこのやせ細った身を浸けることができるとは。

まだまだ生きているといいことはある。麻薬も持っていっていいことに。旅行中、何かあればすぐに電話してと言ってくれる。

10月9日 「ブカブカの礼服にショック」

久しぶりに礼服を引っ張り出して着てみたらブカブカだった。驚いた。ヨリ子にデパートで新しい礼服買ってきてもらう。最近は体重測らんでいいと長尾先生言うから、体重計に乗っていなかったが、ヨリ子いないあいだに乗ってみた。53キロ。いつの間に。ヨリ子ショック受けるかもしれんから、言わないでおく。鏡を見ずに退散。

ホウカンさんからのマッサージで気を紛らわす。便秘ひどいと言ったら、その後、また浣腸。

10月13日 「いよいよ明日出発」

明日に備えて、髯を剃る。食欲も不思議と湧いてきた。久しぶりに鱈子で粥を1膳。南瓜の煮物2口。

10月16日 「希望という名の光」

人生最高の2日間を味わった。息子のレンタカーで神戸。娘の結婚式。ウェディングドレス姿。車椅子で出席。気恥ずかしい。家族で写真を撮る。娘、私に気を遣ったのか、入場曲が山下達郎の「希望という名の光」だった。

長尾クリニックから祝電いただく。うれしい事ばかり。ケーキを食べ過ぎた。酒も少し呑んだ。少し腹が張ったが、有馬温泉の湯に浸かって楽になる。伊吹、幸せになりなさい。

10月18日 「写真がきた」

早速結婚式の写真ができた。大写しにしたものを息子、額に入れてくれる。私も思ったほど病人面していない。ホッとする。伊吹がきれいだ。疲れたが楽しいことばかりだった。

10月20日 「だるい」

今日は気分、わるい。熱。息苦しい。マラソンした後の、息。コーンスープ1口。

10月22日 無題

食べられない。長尾先生くる。シップみたいな麻薬貼られ少し楽に。

10月23日 無題

熱サガラズ。ホウカンさん、座薬入れてくれ楽になる。息、苦しい。息子が救急車呼ぶかと聞いてくる。バカ言うな。家で死ぬ。レコードをかけてくれ。

~ 日記、ここで終わる ~


【「抗がん剤 10のやめどき」(ブックマン社)からの転載】

 アピタル編集部で一部手を加えています