《1874》 舌の上にやめたはずの抗がん剤が…… [未分類]

今日は、鈴木さんの最期の様子です。
リアルで生々しい話なので、気が弱い方は読まないでください。

私はご家族に「死の壁」という言葉を使って説明しています。
この半日間が待てる場合と待てない場合があります。

「待つ」の主語とは、本人であったり、ご家族であったり
医者であったり、看護師であったり、ケアマネであったりします。

ずっと診ている患者さんが亡くなる瞬間に医者が居あわせていなくても
後で行って体表に異状が無いことを確認すれば、死亡診断書を書けます。

診断書に記入する時間は、医者が行った時間ではなく
家族や介護者が息が止まったことを確認した、だいたいの時間です。

1948(昭和23)年に施行された「医師法」の20条は、2012年の
参議院予算委員会で上記の解釈があらためて確認され、通達も出ました。

さて、鈴木さんのお看取りをしていて気がつきました。
なんと、舌の上に、とっくにやめたはずの抗がん剤が立っていました……

抗がん剤のやめどき …… 死ぬときまで

 2012年10月26日。鈴木信夫さんが急変したとご家族から電話があった。モルヒネで鈴木さんが寝付かれた後、1階の居間で、家族の皆さんにお話をする。これから起こることを一つひとつ丁寧に説明する。「あと2日くらいです」の私の言葉に、ヨリ子さん、ひととき号泣されるが、すぐにお嬢さんに抱きしめられて、落ち着かれた。

――あと1日くらいすると、「死の壁」が信夫さんにやってきます。身悶えたり、息が荒くなったり、蒲団をはごうとしたりすると思います。

夢にうなされているような、せん妄状態も起こります。しかし落ち着いてください。あわてて救急車を呼ばんように。せん妄状態になってからは、周りが思うほど、本人は苦しくはありません。聴覚は最後までしっかりしていることが多いので、あまり刺激するような言葉は言わずに、いろいろと話しかけてあげてください。

 わかっています、とヨリ子さん。息子さんも渋々頷いてくれた。

――もう点滴は行いません。点滴をするほうが、最期をより苦しめてしまいます。でも、ご家族としてそれがつらいのなら、200ml程度の点滴は行いますよ。もし喉が渇いているような感じがしたら、氷やシャーベットのかけらで湿らせてください。それから、申し上げにくいことですが、葬儀の準備もそろそろ、されたほうがいい。亡くなった後で信夫さんに着ていただく服もね。

 一言も言葉を発しない結婚したばかりの娘さんから、大粒の涙がこぼれる。声は出さないが、ご家族皆さんが、静かに涙を流す。これを、予期悲嘆という。悲しみの予習。穏やかに大切な人の旅立ちを受け入れるために、必要な時間なのだ。

――異変に気が付いたら、すぐに電話をください。間に合わなくても、必ずすぐに飛んできますから。お亡くなりになる瞬間に医者がいなくても大丈夫です。法律上、何も問題ありません。むしろご家族だけで見送られたほうがいいんじゃないかな。

 10月27日23時15分。東京で仕事があり、最終の新幹線で帰阪中、携帯が鳴る。ヨリ子さんからだ。「主人がしばらく荒い息をしていて、穏やかになったと思ったら、白目をむいています」と仰る。

――お顔を近づけて息をしているかどうか、よく見てみてください。

「……していないと思います」

――残念ですが、今が最期の時間になります。今、23時20分ですね。あと1時間したら、ホウカンさんと一緒に伺います。待っていてください。お顔も身体も触っていいですよ。よかったらヒゲを剃ってあげてください。

 1時間後、深夜の鈴木家に、静かにレコードが流れていた。

 鈴木信夫さんは、あらゆる重荷から解放されたような、いいお顔をしてベッドで永遠の眠りについていた。穏やかな最期でしたね、と告げる。死亡時刻は、先ほどヨリ子さんが息をしていないと思いますと電話で教えてくれた23時20分で、死亡診断書を書く。枕元には、先日の、お嬢さんの結婚式のときの写真が立てかけられていた。

「長尾先生、今日の夕刻までは本当に穏やかだったの。バナナを3分の1くらいかしら、食べてくれました。こんなに穏やかにさようならができるなんて、ねえ、パパ、よかったね」

 信夫さんの口元が少し開いていた。閉じようとして、お顏に手を触れたとき、喉の奥に白い小さな粒を見つけた。ピンセットをお借りして、取り出してみる。

 はたしてそれは、溶けかけのTS-1のカプセルだった。

 それ、ください、と言うので息子さんの手の平にそのTS-1カプセルをそっと載せる。「父ちゃん、まだ飲んでいたんかいな」と呟いた途端、息子さんは小さな男の子のように泣き崩れた。


【「抗がん剤 10のやめどき」(ブックマン社)からの転載】

 アピタル編集部で一部手を加えています