《1909》 認知症の終末期医療は上手くいっているのか [未分類]

昨日は、大阪で第1回関西リビングウイル研究会が開催されました。
250人の会場は超満員で、入りきれない人もいるほど盛況でした。

テーマは、「認知症の終末期医療」で、施設の経営者、成年後見人、
NPO法人理事長、病院勤務医などが講演した後、議論しました。

認知症の人が終末期になった時、様々な問題が生じます。
大きく分けると、医療の問題とお金の問題です。

どちらも自分自身では管理できないので、代理人が必要になります。
お金の問題は後見人制度がありますが、医療の問題は誰が代理をするのか。

家族がいれば家族になるのですが、親しい家族がいない人も増えています。
そんな場合、認知症の人の最期の医療はいったいどうなるのでしょうか?

緩和医療をどうするのか? 食支援をどうするのか? など、大切な課題が山積
なのですが、そこいらに全く触れる時間もないまま終わってしましました。

課題が多すぎて、議論する時間がとても足りないのはいつものこと。
リビングウイルがあればいいのですが、それを持っている人は0.1%。

認知症のおひとりさまは、ほとんどがリビングウイルを持っていないので
医療職や介護職に終末期医療を任せることになるのでしょうか。

イギリスでは、その人の人となりを知る人が集まり、「その人なら何を望むか」
を話し合い、みんなが「きっとこうだろうな」と一致する方向に進めます。

ベストインタレストと言いますが、法的にも認められた意思決定方法です。
しかし、日本にはそのような考え方も議論も方策も、なにも存在しません。

国会では、186人の超党派の国会議員からなる「終末期における本人
意思の尊重を考える議員連盟」が、10年にわたり議論を重ねてきました。

昨日は議連の会長の増子輝彦議員も来られて、会の冒頭聴衆に説明をしました。
この問題はとても大切な問題なので、広く議論していきたいと述べられました。

国会では党議拘束を外して自由に議論されているそうですが、国民も自由に
さらに議論をしてほしいと言われました。

対外的には、集団的自衛権の議論が最重要ですが、国内的には多死社会を前に
認知症に限らず、人生の最終段階の医療もとても大切な課題だと思います。

もはや「尊厳死法」も「尊厳死法制化」も「尊厳死議連」も存在しないのに、
マスコミ各社は間違った報道をし続けているので、改めるべきだと思います。

日々大きな課題があるのに、誰もそれを直視しない現実が私には不思議です。
なんだかんだ言っても上手くいっていると、みんな考えているのでしょうか。

私は現場の人間ですが、毎日認知症の方の終末期医療の意思決定に苦労しています。
家族内での意見の食い違いや揺れ動きに振り回されることに、正直疲れてきました。

みなさん、それとも終末期の問題なんて考えたくもないのでしょうか。
たしかに、そんな課題に取り組む医師や看護師も本当にごく少数です。

国会議員も、そんなことに関わっても票にならないので、あまり力が入らない?
しかし増子議員は暑い中、わずかな時間のため来阪されたので恐縮しました。

いろんなことを考えさせられた午後でした。
「最期まで人間らしく暮らす」ことがしにくい現状を、もう少し掘り下げてみます。