《1924》 相馬野馬追と特養ホーム [未分類]

一昨日、相馬野馬追にクリニックの仲間と共に参加しました。
3回目なので慣れてきましたが、今年もとても暑かったです。

甲冑競馬と神旗争奪戦を観ていると、ここはどこの国? と思います。
福島県では現在も、早朝から馬に乗っての武闘訓練をやっています。

この日のために毎日、早朝から練習してきたそうです。
それが1000年以上続いていることを考えると、気が遠くなります。

震災の犠牲や原発被害の足跡が残る中、その苦しみを乗り越えようと
頑張っている相馬、南相馬のひとたちの心の太さを感じてきました。

その後、南相馬市のある特養ホームを見学しました。
福島は土地が広く、尼崎では考えられないほどのスケールの建物でした。

平屋なので天井が高く、なんともいえない解放感があります。
広い中庭を取り囲むような配置で、採光もたいへん豊かでした。

入所者とも少しお話をしましたが、みなさんゆったり楽しんでいました。
イライラしている人がいないことが、とても印象的でした。

スタッフの皆さんと、終末期医療や看取りに関する意見交換をしました。
私は平穏死を中心に、いつものようなお話をしました。

施設長さんやスタッフのみなさんはとても穏やかで、よく聞いてくれました。
ただ、介護施設が置かれている現状を聞くうちに、心が曇りました。

介護の人材不足がここでも深刻でした。
とにかく人が来ないと聞かされました。

人材不足は全国的な傾向ですが、福島でも例外ではありません。
介護士さんたちの中には、仮設住宅から通勤している人もおられました。

開通したばかりの常磐道を通り、南相馬からいわき市に行きました。
4年前、いわき市から尼崎に避難していた人たちと再会するためです。

福島原発からそう遠くない場所も走りました。
ところどころに放射能表示がありますが、どこも低い数字でした。

しかし福島は広く、どこを移動するにも思った以上に時間がかかりました。
野馬追帰りの渋滞もあり、予定の時間から2時間も遅れてしまいました。

結局、尼崎に避難しておられた人たちと会う時間が無くなってしまいました。
すぐ近くまで来たのに、電話で懐かしい話をしただけで失礼をしました。

いわき市から福島空港がまた、遠い。
地図で見たら近そうなのに、実際に走るとかなりの距離があります。

結局、福島県を北から南まで、そして南から中央部まで走ったことになります。
レンタカーで230Kmほど走りました。

福島空港18時45分発伊丹行きの飛行機からの眺めは圧巻でした。
綺麗な夕陽は、西に向かう飛行機の中ではなかなか落ちません。

落ちたあとも、見たこともない美しい夕焼けが1時間近くも続きました。
沈まぬ太陽を眺めながら福島で出会った人たちのことを考えていました。

福島の野菜、魚、そして酒は本当に美味かったし、
特養ホームの職員の笑顔は素敵だったなあ……

野馬追初日の夜は、東京から相馬に来て働いている医師達と話していました。
私もこのような素晴らしい環境の中で働いてみたい、一瞬、そう思いました。

1時間弱で伊丹空港に着き、現実に帰りました。
そして今日も猛暑の中、汗をふきふき、外来と在宅に勤しんでいました。

めまいのせいか、毎日のように骨折する人がいます。
転倒と熱中症に、くれぐれもご注意ください。