《1926》 余命1日が余命1時間に…… [未分類]

余命宣告はよく外れるし、好きではない、と書きました。
しかし本当に死期が近づくと、家族には必ず説明します。

仕事の都合や亡くなった後の都合もあるでしょうし、
なによりも心の準備をしてほしい、という意味です。

最近、病院から「余命1カ月」と言われて帰ってこられた
在宅患者さんがいて、私が診ることになりました。

初めて訪問した時、その患者さんはとってもお元気でした。
心の中で「3カ月くらいかなあ」と思いましたが黙っていました。

果たして5週間後に看取りになったので、病院主治医の予想は見事に
当たっていただけでなく、説明が実に見事でした。

なんと「すぐに家に帰ったほうがいいですよ」と言われたそうです。
そんなことを言う病院の先生はあまりいないので、それも凄いと思いました。

さて、実はその患者さんが亡くなる3日前に、私は訪問していました。
その時、食事量が落ちていたので「あと1週間かな」と家族に話していました。

3日後、「血圧が低下した」と訪問看護師から連絡がありました。
午後から往診すると、顔色は悪いものの、まだお話もできました。

家族が心配そうに今後の予想を聞くので、私は人指し指を1本立てました。
本人がすぐ横にいて、声が聞こえると悪いと思ったので、無言で指だけ立てた。

クリニックに帰って外来診療を始めると、呼吸停止との電話がかかってきました。
急いで伺い時計を見ると、さっきの訪問からちょうど1時間後でした。

家族は、「先生の言ったとおり、ピッタリ1時間後に呼吸停止した」と。
1時間前の説明の時はみんな泣いていたのに、本番はみんな笑顔でした。

数日後、ご家族が揃ってクリニックに御礼に来られました。
「先生のあと1時間宣言で、みんな看取りに間に合いました」と誉められました。

本当は、あの指は「あと1日」という意味だったのですが、言えませんでした。
家族の勘違いを知っている訪問看護師たちは、横で笑っていました。

本日、「長尾先生、近藤誠理論のどこが間違っているのですか?(ブックマン社)」と
いう本が発売されます。がん医療で悩む人のお役に立てれば幸いです。