《1939》 「死」を想定しない医療 [未分類]

病院から自宅へ帰ってきて数日で亡くなる人が続いています。
直前まで、抗がん剤や放射線治療などの治療を受けています。

余命が数日しかないのなら、もう少し楽しい時間を過ごさせてあげたらとか
車でドライブして美味しいものでも食べさせてあげたら、と思います。

外来から自然に在宅に移行した人や、早めに紹介された在宅患者さんは
ゆっくりと療養生活を送り、最期まで移動して食べておられます。

しかし病院からのギリギリ退院の人は、そうした時間が全くないので
お世話をしていても、あっという間ですし、心苦しいものがあります。

どうしてもっと早く、解放してあげなかったのか……
どうしてもっと早く、好きな時間を過してあげなかったのか……

多くの病院の医療者にとって、「死」は想定外です。
確実に「死」がそこに迫ってきているのに、そこから目をそらしています。

死はタブーであり、忌み嫌うものになっているのが病院。
死は医療者にとっても家族にとっても、あってはいけないもの。

一方、在宅医療では、末期がんの場合、「死」を前提とした医療になります。
もし週単位になれば、ご家族さんと看取りの話しあいを、何度もします。

話しあいの時に思い切り泣いているので、本番では余裕があります。
やり遂げた感から来る笑顔があふれる看取りの場面が、普通なのです。

人間は必ず死にます。
がんでも認知症でも老衰でも、必ずお迎えが来ます。

最期があることを知っているからこそ、毎日の何気ないことが愛おしかったり
何気ない食べ物がすごく美味しかったり、感謝の言葉を口にして笑えるのです。

医学教育の中にも、卒後教育の中にも「死」の教育は皆無です。
看護師もそうだし、ケアマネもそうだし、介護士も同じです。

昨年のお盆は、私は台湾で講演をしたり医療系大学の見学をしたりしていました。
そこで見た「死亡体験カリキュラム」については詳しく紹介いたしました。

「死」を想定しない日本の医療は、そろそろ限界に来ているのではないでしょうか。
「死」を考えることで「生」が充実することに気がつく医者が、そろそろ増えて欲しい。

参考文献) 「長尾先生、近藤誠理論のどこが間違っているのですか?」(ブックマン社)