《1940》 極論が共感を得るということ [未分類]

  • 医者に殺される
  • 病院に殺される
  • 薬に殺される
  • がんは放置せよ……

そのような内容の極論本が、いまだに売れに売れています。

私の母親の枕元にも何冊か置いてありました。
しかし、あちこちの病院にかかり過ぎるくらいかかっています。(笑)

「がんを放置せよ」という本を握りしめた在宅患者さんが、死ぬ直前まで
大病院の外来抗がん剤治療に通いつめているのが、現実の姿なのでしょう。

極論本が患者さんにとってまるで「お守り」のように見える場合があります。
それだけ疑問を持ちながら、緊張しながら、病院におすがりするのが現状です。

ご家族は、後で、必ず考えます。
「あれで本当に良かったのだろうか・・・」

がんを治療しても、放置しても、死ねば必ず後悔のようなものが残ります。
病院で亡くなろうが、家で亡くなろうが、愛する人が亡くなれば悔いはある。

ならば、早めに反対の極論を知り、本を握りしめることで
バランスを取ろうとしているように見えることがあります。

ある書店の医療本コーナーで、極論本をずっと立ち読みしている女性がいました。
カツラのような感じの若い女性だったので、乳がんか白血病なのでしょうか。

食い入るように真剣な表情で、極論本を読んでいましたから、きっと
自分自身が今、受けているがん治療について考えていたのでしょう。

そんな素朴な疑問をさらけ出せる場は、病院の中にも外にもないのでしょうね。
その書店のその極論本が彼女にとっての救いなんだろうなと想像し、眺めていました。

もし、樋野興夫先生のがん哲学外来のような相談室があちこちにあればどんなにいいか。
そしたら何万円も出して遠くのセカンドオピニオン外来まで行かなくてもいいのです。

しかし現実には、一番大切な疑問に応えてくれる医療者は病院にはいません。
在宅に帰れば優しい訪問看護師が聞いてくれるだけなのが日本のがん医療界。

極論が多くの国民の共感を得続けるということ。
そろそろその意味に、がん医療界は気がつかないといけないと思います。

そうでないと、患者不在の、医者同志の不毛な議論だけが続きます。

「そこが知りたい」という核心部分では、医者はもっと裸になるべきです。

参考文献) 「長尾先生、近藤誠理論のどこが間違っているのですか?」(ブックマン社)